起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。
もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第74回)。
隆也さんが死に至るまで
松永太による緒方純子の親族への連続殺人の企みは、最後の大人に向けられ、その最終段階に入ろうとしていた。
標的となったのは緒方隆也さん(仮名、以下同)。緒方の妹である智恵子さんの夫である。時期は、1998年4月7日頃のこと。なぜ「頃」がつくかというと、当日について、緒方の記憶が7日または8日とあるからだ。以下、福岡地裁小倉支部で開かれた公判での判決文(以下、判決文)をもとに、その日から死亡に至るまでの状況を振り返る。
〈平成10年(98年)4月7日ころ、隆也の嘔吐や下痢は、3月下旬ころに比べて頻度が少なくなっていた。松永は、4月7日ころ、当時松永が交際していたK美さん(本文実名)と会うために、隆也に車を運転させて(大分県)中津市内まで赴くことにした。
松永は、中津市内へ出発するに当たり、隆也に対し、「大丈夫か。」と尋ねたところ、隆也は「大丈夫です。」と答えた。松永は、隆也が無精髭を伸ばしているのを見て、人目につきやすいとして、隆也に指示して髭を剃らせた。緒方はその際隆也に付き添っていたが、隆也は洗面台にもたれるようにして髭を剃っていたので、隆也に車を運転させて本当に大丈夫なのかと思った。松永は緒方と(緒方との間の)次男を同行させた〉
うどんセットにメンチカツの外食
午後7時頃に出発し、2時間ほどで中津市内に到着すると、松永はK美さんと会うためにJR中津駅の近くで車を降り、緒方と隆也さんに対して、うどん店で食事をして待つように指示をしている。
〈隆也は、「××うどん(本文実名)」店で、松永に指示されたとおり、親子丼かカツ丼と小さいうどんのセットを注文した。隆也は、特に体調が悪そうな様子はなく、注文した食事を残さず食べた。隆也は、食事の途中でトイレに立ったが、緒方はそのときの隆也の足取りが覚束ないと思った。緒方は、隆也がなかなかトイレから戻らないので、身体の具合が悪く吐いているのではないかと思い、トイレの前まで行き、「大丈夫ですか。」と声をかけると、隆也は「大丈夫です。」と答えた。その後、松永から電話があり、「もう少し食べていていい。」と言われたので、隆也はメンチカツを追加注文し、残らず食べた。緒方と隆也は、食事を終えた後も「××うどん」店に居たところ、松永から電話があり、店を出て駐車場で待っているように指示された。緒方と隆也は駐車場で松永と待ち合わせ、中津市内から2時間くらい掛けて「片野マンション」(仮名)に帰って来た。緒方は、その間、隆也の体調不良を感じなかったが、正常な状態だとは決して思わなかった。
隆也は、「片野マンション」に到着すると、浴室で(隆也さんの長女の)花奈と一緒に寝た。隆也はスウェットを着て、掛け物を何も与えられず、洗い場に敷かれたプラスチック製すのこの上で寝た〉