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連載地方は消滅しない

地方は消滅しない――長崎県波佐見町の場合『名もなく形もなく変化する焼き物』

2017/11/14

「かわいい」を持ち込み「おしゃれな」まちにする

 長瀬さんは滞在中にケガをしたため、韓国行きを諦め、波佐見で作家活動を続けた。児玉さん、深澤さん、一瀬町長の三人組が気さくで面白い人物だったのも、町に残った理由だ。「生涯で初めて話を聞いてくれる大人に出会った」と話す。

 〇五年、児玉さんに頼んで、競売にかけられた旧製陶所を、西海陶器で落札してもらった。その一角に工房を構えた。

 その頃、長瀬さんは西海陶器の若い女性社員が「好きでもない商品を売るのが苦痛だ」と漏らすのを聞いていた。「それなら好きと思える商品を作ったらいい。問屋でも窯元に発注して自社ブランドを持つべきだ」と考え、児玉さんに提案した。

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「どうしたらいいんだ」。児玉さんは身を乗り出した。長瀬さんは大学の先輩で、スウェーデンに留学経験を持つ阿部薫太郎(くんたろう)さん(42)をデザイナーとして紹介した。

「おしゃれ」を持ち込んだ阿部薫太郎さん

 〇六年、西海陶器に入社した阿部さんは、在庫を見て驚いた。「唐草模様」ならまだしも、現代風に変えようとして失敗し、何の絵柄か分からない食器が大量にあったのだ。

 阿部さんは在庫と重ならないよう新商品を作り始める。最初は白い鍵だった。キーホルダーやアクセサリー、箸(はし)置きとしても使える。周囲は冷やかだった。「こんなものが売れるはずがない」。受注に難色を示す窯元もいた。ところが、売れた。

 阿部さんは「おしゃれな」商品を次々と発表していった。靴下を模したスプーン、そろえたら家族のように見える平たい花瓶、並べると家並みになる胡椒(こしょう)入れ、下半分だけ色を変えたマグカップ……。青地に白の水玉模様の懐かしい急須の色を、反転させた商品も出した。

 折しも食器は、衣食住に関する様々な商品をそろえ、暮らし方まで提案する「ライフスタイルショップ」や雑貨店で売れる時代になろうとしていた。阿部さんはいち早く、その変化を読み取っていた。

 これが波佐見焼の「かわいい」の始まりである。阿部さんの商品は波佐見が変わる発火点になった。

「和山」の廣田社長も影響を受けた。最初に作ったのは、自分が欲しかった焼酎サーバーとコップだ。コップは色にバリエーションを持たせ、内側の底を丸くして洗いやすくすると、たちまち人気商品になった。

「不思議なことに、唐草模様ばかり描いていた五十代の男性デザイナーが突然、北欧調の皿のデザインをして、ヒットを飛ばしたのです」

 波佐見の技術力はもともと高い。変化を始めたら早かった。

 その頃、問屋や窯元の若い跡取りが相次いでUターンした。彼らの中から「波佐見」の名を全国に轟かせるブランドを生む人物が出る。問屋「マルヒロ」の馬場匡平(きょうへい)さん(32)だ。

 福岡県で働いていた馬場さんが町に戻ったのは〇八年だ。実家の問屋は倒産寸前だった。「僕は焼き物に興味がなく、手伝いもほとんどしなかったので全くの素人でした。何をしていいか分かりません。取引のあった奈良の雑貨店がブランド化で成功し、コンサルを始めると聞いて第一号でお願いしました」と話す。

 馬場さんも自社ブランドを作ることにした。最初はコンサルに影響されて、品のいい食器を目指した。だが、社員に「馬場さんには似合わない」と指摘されて方向転換した。

「焼き物には興味がない。でも洋服は好き、音楽も好きという友達ばかりです。そんな友達が、お金を出しても買いたくなるような日用の食器を作ろうと考えました」

 古きよき時代のアメリカをほうふつとさせる肉厚のマグカップを作った。どんな大きさが好まれるかは漫画雑誌の景品などを参考にした。絵柄はなくし、思い切って単色にした。色は持っているTシャツを並べて研究し、原色ではなく中間色が売れると判断した。自分で釉薬を買って来て、紫、赤、黄、緑、灰、水色の六通りの製品を作った。焼き物としては常識外れだった。

「紫? 赤? 料理を食べる気がしなくなりますね」。一〇年に発表した時の評価は散々だった。売れなければ倒産だ。ただ、追い詰められるのは初めてではなかった。専門学校を卒業後、最初に働いた雑貨屋は八カ月で潰れた。最後の三カ月は給料もなかった。

 最初に注目してくれたのはインテリア店だ。発売から一年が経つ頃から爆発的な人気が出て、今では波佐見焼の代名詞のように言われる。

 一方、長瀬さんが工房を設けた旧製陶所は、長瀬さんの友人が製陶所の建物をそのまま生かして飲食店を開いた。これが呼び水となり雑貨店など約十店が進出した。「西の原」と呼ばれ、「おしゃれなまち」として国外からも観光客が訪れる。ちなみに長瀬さんの工房は現在、別の地区の旧製陶所に移っている。

西の原には旧製陶所を利用した飲食店や雑貨店が集まる

 ほかにも、馬場さんら主に三十代のUターン者約十人がグループを作り、町をPRする物販イベントなどを行っている。メンバーは窯業以外が多く、自動車販売や観光を手がける山脇慎太郎さん(33)は「町をもっともっと面白くしたい」と意気込む。波佐見では「元気」が方々に伝染し始めている。

 その活力の源は何か。焼き物の歴史が育んだ気風なのだろう。名前にこだわらず、形にもこだわらず、人々が日常生活で欲しているものを感じ取り、商品もまちも変化させる。その答えが、今は「かわいい」であり、「おしゃれ」なのだ。

 波佐見焼はこれからも変化を続ける。次はどんな「波佐見」に会えるだろうか。

地方は消滅しない――長崎県波佐見町の場合『名もなく形もなく変化する焼き物』

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