アニメ『あたしンち』のお弁当
このマンガを読んで思い出したのはアニメ『あたしンち』の第1話「だからそーじゃなくてっ」だった。『あたしンち』はけらえいこの同名漫画のアニメ化。超個性的な“母”をフィーチャーしたコメディで、第1話は母と娘のみかんのお弁当の内容をめぐるすれ違いが扱われたエピソードだ。
みかんの不満は、母の作るお弁当が適当なこと。ある日は塩鮭、ある日はタラコと、おかずがドンと一品入っているだけなのだ。みかんとしては、ほかの友達のお弁当のように、串に刺さった肉団子やプチトマトが入っているようなお弁当がいいのだが、この感覚がなかなか母には通じない。結果、串に刺さった肉団子がたくさん詰め込まれたり、山盛りのプチトマトがおかずになったりする。サブタイトルの「だからそーじゃなくてっ」というのは、もどかしくてみかんの口から出たセリフそのままだ。
みかんは母に別に凝ったものを作ってほしいわけではない。もうちょっとおいしそうと思えるような見栄えや工夫をしてほしいというだけなのだ。でも「おいしそうな食事」に関する母の「感性の網の目」はかなり粗いのだった。
もちろん日本のお弁当は“がんばり過ぎ“で、それが世のお弁当担当者(現状はやはり母親が多いだろう)の負担になっているという現状はある。ただ一方で「お腹がふくれればそれでいい」という観点だけでは、「食の楽しさ」という点で貧しい、というのも事実だ。
味に対しての解像度
そんなことを思うのは、僕自身が長らくまったく料理をしないで生きてきたからだ。しかも食事に関しては「目が粗い」ほう。少々マズイ店に当たって、「まあ、これはこういう食べ物だろう」と思うだけでやり過ごしてしまうことが多い。もちろん「彩りのよい食卓はおいしそうに感じられる」という感覚もなかった。
それがちょっとずつ変わってきたのは、結婚する前に、今の妻に初心者向け料理本『ケンタロウの和食 ムズカシイことぬき!』(講談社)を渡されて、ちょっとずつ料理をするようになったから。子供が生まれてからは土日の昼食担当にもなり、ちょっとずつ料理に慣れてくることで、食に関する網の目が多少なりとも細かくなってきたからだ。