文春オンライン

《口下手は欠点?》ひろゆき、DaiGoにみる日本の「コミュ力」偏重と、メルケル首相が共感を呼んだ“本当の理由”

2021/10/14

 9月9日、当時の菅義偉首相が事実上の退任会見(総裁選への不出馬表明)を行いました。ネット中継で全編を観ましたが、寂しい気持ちになりましたね。「これが一国の総理が、最後に話す言葉かな」と。

 そもそもメディア上ではだいぶ前から、菅氏は「口下手すぎる」・「コミュニケーション力が低い」、だから国民に支持されないのだとする論評が増えていました。しかし、私が寂莫とした思いを抱いた理由は、それとはむしろ正反対のものです。

 一国のトップまでが、平成以来この国を覆っている「コミュ力偏重主義」のうれうべき風潮に呑みこまれ、自縄自縛になり倒れてゆく。そのことに虚しさを覚えました。

ADVERTISEMENT

「口下手」と批難された菅氏の退任会見 ©共同通信

コミュ障=寡黙、話すペースの遅い人

 私が8月に刊行した『平成史 昨日の世界のすべて』では、「新しい成熟のモデル」を求め続けた時代として、わが国の直近の過去を描いています。その観点から見たとき、「コミュ力」=能弁や多弁を過剰に是とする評価の尺度は、むしろ「未成熟」の表れのように感じます。

 平成の後半以来、就活する若者たちがいちばん気にするのがコミュニケーション力、とりわけ「プレゼン能力」でしょう。人気の就職先も、プレゼンを通じて「企画やアイデア、解決策」を顧客に売り込むコンサルティング会社が目立つとか。

 彼らが慕うのが、かつて匿名ネット掲示板「2ちゃんねる」を開設し、いまは共演者をディベート的に言い負かす「論破王」として人気のひろゆき(西村博之)氏です。過日ホームレスへの差別発言で炎上したメンタリストDaiGo氏も、それまでは「人間の心理をマスターし、誰でも思うままに説得できる」というキャラが支持されていました。

「論破王」ひろゆき氏 ©共同通信

 対して寡黙だったり、人前で発声するペースが遅かったりする人は「コミュ障」(コミュニケーション障害)などと呼ばれ、その個性は「欠点」としてしか位置づけられない。それが今の日本社会です。

 もちろん政治家は国民と、会社員は同僚や取引先と、コミュニケーションをとっていかなくては困る。しかしそこで求められる「コミュ力」の内実が、あまりにも浅薄に――「まくしたてて相手を黙らせられる俺はすげぇ」といった、一面的なものになってはいないでしょうか。

メンタリストDaiGo氏(DaiGo氏のYouTubeチャンネルより)

 私たちが「話していて楽しい」・「言葉に重みを感じる」相手は、一方的なセールストークで「売り込む」のが巧みな人とは、むしろ異なるタイプではなかったでしょうか? そうした価値観を忘れてしまった結果が、成熟のモデルが確立しないままでの平成の終焉、そして令和の政治の混乱であるように感じます。