秋篠宮家の長女・眞子さまが、小室圭さんと10月26日に結婚されます。「文藝春秋」は秋篠宮家の内実を報じてきました。ノンフィクション作家の保阪正康氏による「秋篠宮と眞子さま『冷戦』を越えて」(「文藝春秋」2019年2月号)を特別に全文公開します。(全3回の1回目/#2、#3へ続く)
(※年齢、日付、呼称などは掲載当時のまま)
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弟宮という存在
秋篠宮殿下は今年5月、父・平成の天皇と兄・皇太子徳仁親王の御代替わりにともない皇嗣(こうし)となる。
皇嗣とは耳慣れない地位だが、実質的には皇太子である。皇太子と雅子妃に皇子がいないため、将来は第2位の皇位継承者として天皇の地位に就く可能性が高くなる。明年4月の立皇嗣の礼に向け、秋篠宮家の職員が大幅に増員されるのは、そういった事情があるためだろう。
弟宮とは、本質的に難しい存在だ。日本でも、歴史を振り返れば、弟宮の扱いに天皇周辺は気を使い、待遇に苦慮する時代もあった。そういう時代に比べると、秋篠宮は恵まれているといえるかもしれない。
「天皇になることを自ら望んではいけない」
昭和の終わりから平成にかけてのころ、昭和天皇の1歳下の弟宮である秩父宮殿下について、まだお元気だった妃殿下や側近に話を聞き、評伝を書いた(『秩父宮』中公文庫)。そのとき感じたのは、弟宮という立場の苦しさであった。
例えば、天皇家には明治天皇らにより帝王教育が整えられていくが、第二皇子以下の弟宮の教育に特別な形は準備されなかった。それは明治天皇にも大正天皇にも弟宮がいなかったからでもある。
近代日本で初めて第二皇子として誕生した秩父宮に施された教育内容を端的に表現するならば、「あなたは天皇になるかもしれない。しかし、天皇になることを自ら望んではいけない」というものだった。これは矛盾をはらんだ過酷な要求であり、ご本人をある意味、残酷な立場に追い込むものでもあった。母である貞明皇后はそのことを十二分に察し、秩父宮には少年期から、その苛酷さをねぎらう書簡を送ったりしている。