父が明かす「マッチとの結婚」
彼女は、交際中の近藤を何度も清瀬の実家に連れて行き、家族にも会わせていたが、いつしか足も遠のいていた。明菜の父、明男が明かす。
「マッチは何回も家に来たことがありますよ。2人で車に乗って来て、離れた場所にある駐車場に停め、そこに明菜の兄が車で迎えに行くんです。私は明菜がマッチと結婚すると思っていたのに。明菜は私たちが、自分のお金を使い込んだかのように思っていますが、誤解されるようなことは何もないです。お金をせびったことも一度もないですから」
明菜の自殺未遂の後、家族は彼女の病室に駆け付けた。しかし、家族の口から研音の立場を気遣うような発言を聞き、明菜の心はさらに家族から離れていったのだ。
所属事務所、家族とも距離ができた彼女を、芸能界に復帰させる動きが水面下で始まっていた。
それを誰よりも望んでいたのは、彼女の自殺未遂の煽りを食った近藤であり、ジャニーズ事務所だった。
「明菜は近藤との約5年の交際期間の間、89年の自殺未遂の前にも睡眠薬を飲んだり、カミソリを持ち出したりして自殺を図ったことが複数回あったと聞いています。ちょっとした諍いが原因だったようですが、それは彼女が絶頂期を迎えていた85年から始まっています。いつまでもマスコミに追われて逃げ続けている訳にもいかないし、彼女にはまた自殺を図ってしまう恐れもあった。お詫びの会見をやって線を引き、再起を期すためには、まず所属事務所を整える必要がありました」(前出・ジャニーズ事務所関係者)
メリーから事態の収拾を頼まれた小杉は、かつてRVC時代に宣伝にいた男に白羽の矢を立てた。
彼は原宿のショップで働いていたところを小杉から誘われてRVCの宣伝マンとして入社。小杉が代表を務める音楽プロダクションでも働き、弟分的な存在だった。ただ、マネジメント経験が豊富だった訳ではない。
新事務所は「コレクション」と名付けられ、社長には、件の小杉の弟分が就任。取締役には明菜やワーナーの山本社長も名を連ねており、資本金3000万円の大半はワーナーが用立てた。
明菜は小杉のサポートを期待していたが、小杉は役員には入らなかった。その後ろに控えていたメリーは、あくまでもジャニーズ事務所の副社長として、窮地に追い込まれた近藤の芸能活動を守ることを最優先に考えて動いた。ただ、百戦錬磨のメリーが、明菜のマネジメントを経験の浅い人物に委ねればどうなるのか。その結末を予測できなかったはずはないだろう。
激動の80年代が、終わりを告げようとしていた89年12月、明菜の記者会見は急遽決まった。12月31日の大晦日、しかもNHKの紅白歌合戦が放映されている夜10時に設定され、その様子はテレビ朝日が生中継することになった。
芸能史に残る“金屏風会見”だ。
(文中敬称略、#6に続く)
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