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2021/10/22

 クリスマスケーキ理論が生きていた時代の女性は、4年制大学を出ても就職が難しく、特に学習院のような大学においては、卒業後ほどなくして結婚する女性が多かったようです。すぐ結婚しなかった女性達は、結婚するまでの期間を「花嫁修業中」「家事手伝い」といった肩書きで過ごしていました。

酒井順子さん

 紀子さまの結婚は、その時代の女性の結婚のように見えました。

「上つ方は、世間の風に当たった女性とは結婚しないものなのか」

 と、私は世間の風を全身に受けつつ思ったもの。

 その後、浩宮さまが小和田雅子さんという、世間の風を知る女性と結婚したことにより、「上つ方の好みも色々である」と、私は知りました。働くことの充実感を知っているプリンセスと、社会に出ずに婚家へ入ったプリンセスという意味において、雅子さまと紀子さまのカラーははっきりと分かれたのです。

「嫁業」に徹する

 紀子さまは40歳になる直前、悠仁さまを出産します。その時私は、「この方は単なる古風な女性ではなく、実は底知れぬ強さを持っている」と思ったものでした。

紀子さま ©共同通信社

 雅子さまは、「ハーバード」「東大」「外務省」といった眩しい経歴を背負って浩宮さまと結婚し、皇室に新しい風をもたらしたけれど、婚家に適応することには苦労された。対して紀子さまは、社会を見ずに結婚したけれど、だからこそ迷いなく婚家の色に染まり、「嫁」としての役割に徹したのではないか、と。

 下々の世界においても、「個人としての私って?」といった懊悩とは無縁に、婚家の奥底まで躊躇なくダイブする「嫁」がいるものです。女形が本物の女よりも女らしく見えるように、そういった「嫁」は、次第にその家に生まれた人よりもその家の人らしくなり、最後には大きな権力さえ握ることになる。

 聖心女子大学を卒業した美智子さまもまた、就職せずに皇室に入った方でした。美智子さまの時代、4年制大学への女性の進学率は、2パーセント台。大学進学は、特別なエリートや上層階級の女性のみがすることでした。大卒女子が就職することはさらにレアケースであり、正田美智子さんもまた、実家から皇室へと嫁いだのです。

 結婚生活の中では様々な苦難があったものの、結果的には、婚家において最も「らしい」空気をまとうことになった、美智子さま。しかし美智子さまの時代は、女性は嫁業に徹するのが当然だったのに対して、紀子さまは女性が自己実現を求める時代に育ちながら、古風な方向で自分を生かす選択をしています。悠仁さまを出産した紀子さまに私が改めて感じたのは、時代に流されない強さというものだったのでしょう。