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大河ドラマ『青天を衝け』では橋本愛演じる妻・千代と愛人はほぼ同時期に出産…“妻妾同居”の実態

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2021/10/24

「文藝春秋」9月号より「渋沢栄一『2人の妻とお妾さん』」を公開します。(全2回の2回目/前編から続く)

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「妻妾同居」が機能していた

 当時、一定以上の地位についた男がお妾さんを養うことは珍しくもなく、妻もそれをわかっていたので、「妻の運営する家族という組織にお妾さんがいる」のは不思議なことではありませんでした。

 たとえば東邦電力などを興して「電力の鬼」といわれた松永安左エ門という人の妻は、自ら夫の妾を選んでいたといいます。本当に女好きでお妾さんがたくさんいた彼ですが、実は妻がすべて「この子はダメ、この子ならオッケー」と差配していた。さすがに妻が妾を選ぶというのは他に聞きませんが、実は渋沢家にも、千代と一つ屋根の下でともに暮らすお妾さんがいました。

大河ドラマ『青天を衝け』で主演をつとめる吉沢亮 ©朝日フォトアーカイブ

 明治4年、渋沢が31歳で大阪に赴任していたときに出会った、大内くにという女性。くにを現地妻とした渋沢は、千代の許可を得たのち神田の新居へ彼女を連れ帰り、同居させています。しかも2人はほぼ同時期に子どもを産んでいる。

 千代、その妹、渋沢の妹、そしてくにが並んだ集合写真が残されていますが、くにの堂々とした写りっぷりたるや、まるで『大奥』のような「妻妾同居」が、渋沢の良き子孫を残すための合理的システムとして機能していたことがよくわかります。実際、渋沢と千代の間に生まれた子どもたちは、幼い頃からともに暮らしたくにに非常に懐いていました。千代をコレラで亡くしたあと、渋沢がくにではなく外から後妻を迎えることにひどく反対したほどだといいます。

千代(前列右から2番目)とくに(左)

 明治の世、支配階級に成り上がった元幕臣たちは妻妾どちらとの間にもたくさん子どもを作りました。

 すさまじい例だと、大蔵大臣だった松方正義には子どもが26人いて、明治天皇に「また生まれたか。いったい何人目だ?」と聞かれたとき、「……後日調査の上、ご報告申し上げます」と答えたとか。自分でも何人いるのかわからなくなっていたのですね。