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かつては、農民が自ら種を採り、人力や畜力で耕し、有機的な肥料などを循環させることによって土を育てるなど、農業とは自立的な営みでした。それがこの頃には、工業部門が石油などから製造した農薬や化学肥料などの農業資材を農家が購入して、大規模に生産した商品作物を食品製造業など他の工業部門の原材料として出荷するようになりました。

つまり、農業も資本主義経済へ取り込まれたといえます(専門的には資本による農業の包摂といわれています)。政府も、戦時中の飢餓の記憶から農業生産を支援したり、多額の補助金をつぎ込んで自国の農業の大量生産体制を推進したりしました。

資本主義の常として、食料も「商品」として大量生産したら、大量に販売するため市場を確保する必要があります。でも、食料の販売量(=消費量)を増やそうとしても、人間の胃袋には限界があります。そこで、ひとつには海外まで農産物の市場を拡大すること、もうひとつには新商品を開発してもっとたくさん消費してもらうことが図られました。

アメリカは「食糧援助」で日本を仲間に引き込んだ

第二次世界大戦後、米国政府は必要以上に生産した小麦や大豆を「食料援助」も利用して日本や途上国に輸出増加しました。まずは戦後の飢餓時代に飢える子どもたちを「援助」するという意味もありましたが、しだいに、米国農産物の海外市場を開拓すること、そして冷戦が激しくなると、途上国を仲間に引き込むという戦略的な意味も持つようになりました(第二次世界大戦後、世界は米国を中心とする西側陣営と、旧ソ連を中心とする東側陣営とに二分された「冷戦」が半世紀ほど続いていたのです)。

敗戦後、米国の支配下に入った日本にも、米国産の小麦や大豆が流入しました。戦後直後には、パンと脱脂粉乳を中心とした学校給食によってパン食を広める動きもありました。やがて日本が復興するにつれて、穀物・油脂・砂糖・動物性食品(肉や乳製品)を多用する食品産業が発展し、日本でも多くは米国ら輸入した穀物・油糧種子を原料とする食品の消費が増加されました。