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「大丈夫です。いきます」…中日・山井大介 、あの“完全試合目前降板”の真実

2021/11/12

 中日ドラゴンズを日本一に導いた落合博満監督の実像に迫るノンフィクション「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」(文藝春秋刊)が評判を呼んでいる。クライマックスとして描かれる2007年日本シリーズの「完全試合リレー」。その当事者である山井大介投手(43)が現役引退を表明した。番記者だった鈴木忠平氏は、山井という投手をどう見ていたのか。

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常に不安定な危うさが漂っていた

 山井が引退するとの一報に触れてまず浮かんだのは、彼が20年もユニホームを着たことへの驚きだった。プロ野球の世界は10年やれば成功、20年で大成功と言われる。一瞬の輝きを残す者より、長く土俵にいた者が勝者とされる。

山井大介

 私は正直、山井は短命の選手だと思っていた。2000年代前半、私がまだスポーツ新聞の番記者になったばかりの頃、山井は若手投手の一人だった。投げるボールの威力は誰もが認めていたが、浮き沈みが激しかった。いつも、これからというときに怪我をした。投手としての彼には常に不安定な危うさが漂っていた。

 時の監督、落合博満はよくこんなことを言っていた。

「たまにベンチが想像する以上のことをやる選手がいるだろう? そういう選手はじつは使いにくいんだ。期待した以上のこともやるけど、とんでもないポカもする。そういう奴はこの世界で長生きはできない」

「プロでやるには人が良すぎる」

 山井はまさに、“たまにとんでもないことをする”投手だった。その最たる例が2007年の日本シリーズだ。日本一へ王手をかけた第5戦、ローテーションの谷間を埋める形で先発すると、8回まで1人のランナーも出さない快投を見せた。しかし9回を迎える直前、コーチに問われ、自ら交代を申し出た。

 世間には落合の非情采配として知られる場面だが、そのやり取りを耳にして、「プロでやるには人が良すぎる」とも感じていた。

日本一決定後、落合監督と握手

 あれは3年前の秋のことだった。雑誌「Number」の、あの継投を題材にした取材で、久しぶりに山井と向き合う機会があった。最終回直前のベンチで何があったのか。山井は語った。