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2021/11/15

source : 文藝春秋 2005年1月号

genre : ニュース, 社会, 皇室

紀宮さまのお相手として白羽の矢がたった理由

 黒田さんに、紀宮さまのお相手として白羽の矢がたった理由とは、なんだったのだろうか。

 黒田家は、親戚のなかに旧華族と結婚した方もいるが、いわゆる「黒田節」の九州・黒田藩の流れを汲む家系ではないという。

挙式から数日後、開園前の新宿御苑を散策する黒田慶樹さん、清子さん ©JMPA

 曾祖父は大阪・堺市出身。祖父の黒田慶太郎氏は中国にあった日系紡績会社、上海紡織(シャンボウ)の代表取締役会長として、戦前の上海に暮らした。二男六女があり、次男の慶次郎氏が、慶樹さんの父親にあたる。

 当時、東洋棉花(現トーメン)上海支社にいた大島正雄元トーメン副社長が振り返る。

「黒田慶太郎さんは、英国流のファイン・ジェントルマンという印象で、やせ型の、おしゃれでダンディな方でした。東京高等商業学校を出て三井物産に入り、三井家の方と一緒に、ロンドンに留学されたと聞きました」

 終戦と同時に上海紡織はなくなり、黒田一家は日本へ引き揚げた。慶太郎氏は知人に「上海では何十足も靴があったのに、今はこれだけだよ」と古びた靴を見せながら語ったこともあったという。

母親が出かけるときは、今も車で送り迎えを

 しかしながら、慶太郎氏の長女は税所家に嫁ぎ、長男は秋月家から夫人を迎えている。秋月家、税所家ともに武家の流れをくむ旧華族(子爵家)。長男の慶一郎氏はトヨタ自動車販売の常務を経て、日本ケミカル工業会長となる。戦後も、黒田家は安泰だったといえるだろう。慶樹さんの父親・慶次郎氏は初等科から学習院に学び、政経学部を卒業後、トヨタ自動車勤務。東京・神田の呉服問屋のひとり娘、壽美子さんとの間に2児をもうけるが、慶樹さんが大学3年のときに、ガンに倒れてしまう。享年56。学生時代から温厚で柔和な紳士だったという。

 長男の慶樹さんは、母の壽美子さんを守ろうと決意したのだろう。39歳の今日まで、母と二人で暮らしてきた。一学年下の弟の慶治さんは結婚して妻の姓を名乗っている。黒田一家の昔からの知人は、

「父親の転勤など、家庭の事情により兄弟が離ればなれで暮らした時期もありますが、慶樹さんが母親のもとを離れたことはありません。母親が出かけるときは、今も車で送り迎えしたりしていますよ」

 という。紀宮さまとの結婚後、新居の事情にもよるが、壽美子さんと同居される可能性が高い。昭和天皇の五女の島津貴子さんが、姑と同居したという前例もある。

「饗宴の儀」に参列した黒田慶樹さん、清子さん ©JMPA

 現在、黒田家が住む渋谷区のマンションは築33年。広さも45平米と、紀宮さまを迎えて住むにはいかにも手狭である。ただ、母の壽美子さんは実家のあった神田に、土地20坪、6階建てのビルを所有している。こうした不動産を処分し、約1億5000万円という紀宮さまの「持参金」と合せれば、2世帯同居できる住宅も、取得可能ではあろう。

 壽美子さんを知る人が語る。

「江戸っ子といいますか、華美なことは好まない方です。若いころ『ミス千代田』に選ばれたほど清楚な美人でした。読書好きで、歌舞伎もお好きでした」

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