「サーヤちゃんがお嫁に行っちゃうと寂しくなるね」
長い間、紀宮さまが結婚への関心が薄かったのは、ご両親、とくに皇后陛下のお側にという気持ちが強かったからだという。美智子さまもまた、
「紀宮が末っ子ということもあって、結婚はまだ先のことであって欲しいと思ったり、それは親の我がままかしらと思ったり、気持ちがまとまりません」
と、愛娘への揺れる思いを語ったことがある(1990年12月)。そこには、ひとたび嫁すれば、皇族と民間人としてお立場を分かつという皇室ならではの事情があった。
初めての女児である紀宮さまの誕生で、東宮家の雰囲気は喜びに包まれた。ことに「サーヤちゃん」を可愛がったのが、二人の兄だった。
「サーヤちゃんがお嫁に行っちゃうと寂しくなるね」「お庭にサーヤちゃんのおうちをつくってあげようか」「そうすれば、いつまでも一緒にいられるからね」
東宮御所の庭で、幼い兄弟同士、こんな会話を交わしたこともあったという。
今は日本舞踊を趣味とされ、淑やかなイメージの紀宮さまだが、幼いころはお兄さまたちと一緒に木登りやドッジボールなども活発にされた。特に年の近いことから、礼宮(秋篠宮)さまとは、虫を捕ったり、蛇を捕まえたりして遊ぶことが多かった。二人で早朝から剣道の素振りをしたり、御所のなかを走っていたという。
秋篠宮さまは「ほんとうに悪いお兄さんでした」
後年になって秋篠宮さまは、
「ちっちゃい子って、本当に泣くとかわいいのですよ。妹を泣かせておいて、ごめん、ごめんというと『よろしいのよ』と妹が答える。一つ覚えみたいなところがあって、それを聞きたいがために兄と一緒に妹にいたずらをしました。ほんとうに悪いお兄さんでした」
と、語られている(江森敬治『秋篠宮さま』)。
当時から皇室ジャーナリストとして取材を重ねてきた松崎敏弥氏は、紀宮さまが幼稚園に入った頃を覚えている。遊び相手が男の宮さまだけであることと、将来のために外の世界を知ったほうがよいという両陛下のご判断から、学習院幼稚園に入る前の1年間、柿ノ木坂幼稚園に通われたのだ。
「紀宮さまは帰りの車に乗ると、すぐにぐっすりと眠ってしまう。御所の外の世界に緊張しきって1日を過されているのだろうなあ、と可哀相になりました。一方で美智子さまは、おイモ掘りや遠足など、浩宮さまたちのときは侍従にまかせることも多かった幼稚園の行事に、積極的に参加されたと思います。いつか外に出る内親王だからこそ、より愛情深く接せられたのでしょう」(松崎氏)
(文中一部敬称略、#3に続く)
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