2005年11月15日、黒田慶樹さんとの結婚式と披露宴の日を迎えられた紀宮さま(現・黒田清子さん)。ご結婚により皇族としての身分を離れられるまで、内親王として本格的に公務に励み、外国を公式親善訪問したのは、紀宮さまが初めてでした。ジャーナリストの友納尚子氏による「サーヤのご結婚 その全真相」(「文藝春秋」2005年1月号)を特別に全文公開します。(全3回の2回目/#3に続く)
(※年齢、日付、呼称などは掲載当時のまま)
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「そろそろ身を固めないと恥ずかしいですよね」
その後も二人の交際は順調に続いた。2004年5月ごろ、黒田さんの伯母、黒田治子さんの耳にも、この事実は伝わっていた。
「私の母校も学習院なのですが、クラス会である方から、慶樹が紀宮さまとお付き合いしていると聞いたのです。去年(2003年)の暮れには、彼女がいる様子がまったくないので、『もうそろそろ何とかしなさいよ』と電話で話したんです。慶樹は何も言わずに笑っていましたけれど、今から思えば、その時にはもう紀宮さまとお付き合いさせていただいてたのかもしれない」
2004年7月ころ、黒田さんは伯母の税所徳子さんに、「そろそろ身を固めないと恥ずかしいですよね」と、冗談めかして話している。宮内庁関係者が使者となって黒田家の意思を確認し、あとは婚約発表まで準備を積み重ねていくばかりとなった。
いまや宮内庁では、婚約内定までの道筋をつけられた秋篠宮への賞賛の声が高まっているという。
「秋篠宮殿下が確信をもって行動できたのは、天皇皇后両陛下のご意向に沿ったものだからであり、紀子妃が紀宮さまの精神的支えになるという、ご夫妻そろってのご配慮に宮内庁も感謝しているのでしょう。皇太子殿下には、雅子妃のお身体の具合の問題に加えて、『人格否定発言』の波紋もありました。秋篠宮殿下は、紀宮さまのことはもちろんですが、両陛下のご心痛を気にしておられて、このご結婚へと力を発揮されたのでしょう」(前出・皇室関係者)
歴代の宮内庁長官には、それぞれに果たさなければならない重要なテーマがあった。藤森昭一元長官が「皇太子のお妃選び」、鎌倉節前長官が「お世継ぎ誕生」であったとすれば、現在の湯浅長官の課題はまさしく「紀宮さまの結婚」である。仲を取り持った秋篠宮への信頼が厚くなるのも無理はないだろう。