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妻と離婚し酒浸りに

 しかし、手にした幸せも長くは続かなかった。

 住友グループの企業城下町でもある新居浜は鉄鋼業が盛んな都市。その頃、河野も溶接などの職に就いていたが、ある経営者はその仕事ぶりに懸念を抱いた。

「昔、現場仕事の手伝いを頼んだが、自分のやりたいようにやって、協調性に欠けているところが気になりました。案の定、周囲とうまくいかず、その後も職場を1、2年で転々としていると噂で聞いた」

 やがて妻とも離婚。河野は一時期、酒浸りの生活を送った。父親の借金で実家は売却され、帰る場所もない。孤独を深める河野の内に、狂気が芽生えていった。

岩田さん一家が暮らしていた家

「何見とるんじゃ!」

 今から6年前。香川県高松市のアパートで1人暮らしをしていた河野は、荒み切っていた。

「しょっちゅう喚き散らしていて、関わりたくない人でした。他の部屋のドアをガンガン蹴るので、アパートの住人は彼を残してみんな出ていってしまって。夜勤の仕事をしていたようですが、結局、家賃の未払いがかさんで、強制退去になりました」(近隣住民)

「警察に何度も言ったが、取り合ってくれん」

 その後、鉄鋼関係の職場で同僚となったのが、健一さんだった。

「2人が初めて会ったのは3年ほど前、同僚ら4人で行った食事の席だったそうです」(健一さんの知人)

 以後、河野は「電磁波止めんかい!」などとネットに書き込み、健一さんら特定の人物に敵意を剥き出しにする。同時にかつての友人たちも河野の異変に気付き始めた。先輩男性の証言。

「頻繁に連絡が来るようになったのは1年前。岩田の名前を出して『電磁波攻撃が入ってくる。警察に何度も言ったが、取り合ってくれん』と。そんなことないやろと言うしかなかった」

 無論、そんな加害の実態は存在しない。では、岩田さんたちは、どんな家族だったのか。

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