死因のよくわからない事件では、警察や検察は「絞殺」にこだわることがある。国際ジャーナリストの山田敏弘さんは「首絞めだと加害者の殺意を明確に立証できる。その結果多くの冤罪事件が生まれている」という——。
※本稿は、山田敏弘『死体格差』(新潮社)の一部を再編集したものです。
「警察や検察で事件のストーリーが作られてしまう」
玄関を開けると、はにかんだような柔らかい表情を見せる大野曜吉が、「ああ、こんな所まで足を運んでくれて、ありがとうございます」と言って出迎えてくれた。10年ほど前に知り合ってから全く変わらない。
大野は日本の法医学分野で知らぬ者がいない著名な法医学者である。事件史に残る業績を残している人物だ。
私は、新型コロナウィルス感染症の感染状況が小康状態になったタイミングで大野と会うため、こぢんまりとした賃貸マンションを訪問していた。
というのも、2019年3月いっぱいで日本医科大学を定年退職した大野が、そこにひっそりと「法医学相談室」なるものを開設したと耳にしていたからだ。
大野と私は、マンションの一室で、お互いの近況を報告し合った。
その流れで、どうして退職後も法医学にかかわる仕事を続けているのかと質問すると、大野は「まあ、やり残したことがあるってことですよ」と言った。
法医学の世界でやり残したこと——。
おうむ返しに尋ねると、大野は続けた。
「一つには、冤罪(えんざい)事件の多さが気になりますね。警察や検察で事件のストーリーが作られてしまうことがあるんです。私たちだって、いつ巻き込まれるかもしれません。いつ事件の当事者にされるかもしれないのです。ほんとうに冤罪かどうかわからないけども、冤罪の可能性があると再審の請求が出てくる。明らかに有罪だろうと思うような無理筋のものも少なくないけどね。でも、冤罪事件に法医学が加担することがないように、やはり死因究明の鑑定は続けないといけないと思い至ったのです。若い法医学者たちがよくわからないまま警察などの主張に流されてしまわないようにね」