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source : 文藝春秋 2015年3月号

genre : ニュース, 社会, ライフスタイル

「これだけの大惨事が起きているのに寝てなんかいられない」

 自宅療養に入って5カ月が過ぎ、「あと1カ月で立てる」と楽しみにしていたときです。東日本大震災が起こり、テレビで被災地のすさまじい映像が流れました。ハッと気づいたら、私はベッドから降りて突っ立っていました。まだ立てないと思い込んでいたので嘘のようでした。「ああ、やっぱり肉体の回復には気持ちの問題もあるんだ」と改めて感じました。

「これだけの大惨事が起きているのに寝てなんかいられない」

 そういう思いから元気を出して、自分の足で立って歩くように努力しました。6月初めには、名誉住職となっている岩手県二戸市の天台寺で法話会を開き、東北の被災地を慰問してまわりました。被災者たちの顔を見て「これはもっと行かなきゃ」と、夢中になって東北を訪れ、仕事にも励むうちに、腰のほうはすっかり回復し、以前よりも元気になっていました。そうやって無我夢中で4年間を過ごして、自分ではもう病気の心配はないと思っていたら、昨年5月にまた脊椎圧迫骨折で倒れてしまったのです。

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耐えがたい激痛に襲われる

 昨年5月15日に満92歳の誕生日を迎え、2週間ほど経った頃、また腰に突然痛みを覚えて動けなくなりました。

 実はその直前に、妙な予感がありました。1年前から小説『死に支度』を文芸誌「群像」に連載していましたが、91歳で書きはじめた小説ですから、当初は死ぬまで書きつづけるつもりでした。それが、何とも言えない霊感が働いて、第12回の原稿を書くときに、不意に「これで連載は終わろう」と決めました。その原稿を渡してすぐに腰に痛みを感じて、4年前と同じ先生に診てもらいました。このときも診断は圧迫骨折で、また半年ほど安静にして自然に治るのを待つように言われました。

 実は1度目の圧迫骨折が治ったあとに聖路加国際病院の日野原重明先生と京都の武田病院の武田隆男会長と鼎談して、「5カ月間じっと寝ていた」と話したら、「いまどき寝て治す人はいない」とお二人に笑われました。骨折した部分に医療用セメントを注入する治療法ですぐ歩けるようになる。お二人ともその方法で治したといわれたので、私は「こんど圧迫骨折になったらそうします」と話していたのです。

 だから、2度目のときは「セメント療法にしてください」と言いましたが、先生はやはり安静にして治すことを勧められたのです。私も前の経験からやはり自宅のベッドで安静にしていました。

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