11月9日、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが心不全のため亡くなりました。享年99。月刊「文藝春秋」には、瀬戸内さんによる数多くの寄稿や談話が掲載されています。その中から、92歳での圧迫骨折や胆のうがん闘病について明かした「92歳の大病で死生観が変わった」(「文藝春秋」2015年3月号)を再公開します。(全2回の2回目/前編から続く)
(年齢、日付などは掲載当時のまま)
◆ ◆ ◆
胆のうがん手術で全身麻酔
このときの手術は、開腹するのでなく、お腹に3カ所の穴を開けるだけの腹腔鏡下手術という方法です。お臍から腹腔鏡という小さなカメラを入れ、テレビモニターで内部を観ながら、細長い鉗子(かんし)で胆のうを引っ張り出します。
手術そのものに不安はなかったものの、全身麻酔は初めてだったのでちょっと怖いと思いました。それに、全身麻酔から醒めるときにおかしな夢をみるとか、言っちゃいけないことを口走るとか聞いていたので、心配なこともありました。
ところが、いざ手術を受けてみると、その全身麻酔が何とも言えず気持ちがよかったのです。麻酔が効きはじめると、だんだん全身が甘い感覚に包まれてきて、フーッと意識が薄れていく。本当に気持ちがいい。「死ぬ瞬間もこうなら、死とは素晴らしいことだ」と思えたほどの気持ちよさでした。
意識が薄れるなかで、ふっと思い出したことがありました。里見弴先生の言葉です。
里見先生は満94歳で亡くなりましたが、晩年にとても親しくしていただきました。亡くなる前年、私は先生と長い対談をして、そのとき「先生、死ぬってどういうことですか?」と尋ねました。すると里見先生は「死とは無だ。自分は死ぬことが怖くない」とおっしゃいました。無というのは、何もないということですから、「それじゃ、先生があんなに好きだったお良さんにあの世で会えると思わないんですか?」と重ねて尋ねました。お良さんは里見先生の愛人だった方で先に亡くなっています。すると先生は、「お良だってもう死んでいるから無だ。だから会えないよ」と言われました。
里見先生が何度も言われた「無」という言葉がずっと頭に引っかかっていたので、全身麻酔で意識が遠のきながら「ああ、これが無か」と思ったのです。