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92歳の脊椎圧迫骨折、がん摘出手術で“うつ状態”に…瀬戸内寂聴さんが5年干されて痛感した、謝罪は「口で言われただけじゃダメなのよ」

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source : 文藝春秋 2016年12月号

genre : エンタメ, ライフスタイル, 読書

 11月9日、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが心不全のため亡くなりました。享年99。初めて文芸誌に発表した小説である『花芯』(「新潮」昭和32年10月号)は文壇から酷評されました。デビュー作で「子宮作家」「エロ作家」のレッテルを貼られた35歳の瀬戸内寂聴さん(当時は晴美)は、その後5年にわたり、文芸誌に執筆する機会を閉ざされてしまいます。自身の人生の挫折、苦悩を明かした手記(「文藝春秋」2016年12月号)を特別に転載します。(全2回の2回目/前編から続く)

瀬戸内寂聴さん ©文藝春秋

(※年齢、日付などは掲載当時のまま)

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作家の「才能の種類」

 文壇の扱いは、正反対でした。石原慎太郎さんは小説が売れるからその後ももてはやされ、何を言われたって堂々としていた。私は反対に、ほかの文芸誌からも干されてしまったんです。「ああ、やっぱり売れるようにならないと駄目なんだな」と痛感しましたね。

 60枚の短編だった『花芯』を、「子宮」という言葉を削りながら200枚に書き直して、三笠書房から出版したのは批判を受けた翌年です。それは、平野謙さんの批評に応えるためであり、純文学にこだわる私の意地でもありました。

©文藝春秋

 作家にはね、才能の種類というのがあるんです。たとえば、友人だった芥川賞作家の河野多惠子さんが、大衆小説に挑戦して失敗したことがあります。生涯、純文学しか書けなかった彼女は、狭いけれども、非常に優秀な才能の持ち主でしたよ。

 100万人に読まれる大衆小説を書く人にも、生まれつきの質があります。質の上に、経験が加味されるわけです。松本清張さんが、すごく悪い女に引っかかったことがあるんですよ。その女が私に全部話したから、よく知っています。「ひどい目に遭ったわね」と私が言ったら、清張さんは、

「そんなことないよ。いままで女といえば女房ひとりしか知らなかったから、悪女がどうしても書けなかった。あの女とそういうことがあったから、悪女を書ける。それで売れる小説が書けるようになったんだから、あの女は恩人だよ」

 と笑ったものです。だけど清張さんが悪女を書いても、私小説にはなりませんよね。