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イスラエル軍サイバー特殊部隊出身者が語る「私たちが日本にきた理由」

超ハイテク国家のエリートから見た21世紀の日本 #1

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 イスラエルと聞くと、どんなイメージを思い浮かべるだろうか。テレビで目にするのは、パレスチナ問題や周辺のイスラム諸国との対立といった国際情勢ニュースかもしれない。また、日本からは遠い国という印象が大半だろう。

 しかし、イスラエルは意外と身近なところにかかわっている。自宅やオフィスで使用しているパソコンに「インテル」社製のプロセッサーが入っていれば、それはイスラエル製である可能性が高い。同社のCPUの8割はイスラエルで製造されているからだ。また、Googleで検索するときに出てくる「サジェスト」機能、ネットワークのセキュリティ技術「ファイヤーウォール」、小型無人機ドローンなども、もともとはイスラエル発のテクノロジーである。今日のイスラエルは、世界を牽引するハイテクベンチャーの一大拠点となっている。

 なぜイスラエルは躍進できたのか。日本はイスラエルから何を得ることができるのか。『知立国家 イスラエル』(文春新書)の筆者・米山伸郎氏が司会となり、日本で活動するイスラエル出身のビジネスエリートに話を聞いた。

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(全2回)

©文藝春秋

イスラエルで日本語人気に火がついたワケ

――まずはそれぞれの簡単な自己紹介からお願いします。

ヨアブ・ラモト氏(Yoav Ramot) ©文藝春秋

 ヨアブ 私は13歳のときに初めて日本にきました。私の父が駐日イスラエル大使館で働いていたのです。日本には5年間いて、兵役の始まる18歳でイスラエルに戻りました。軍で3年間過ごした後、いくつかの企業のスタートアップに関わりましたが、「いつか日本にもう一度行ってみたい」とずっと思っていました。大人として日本で暮らすことで面白い経験をしたい。文化、食事、言葉……どれも私にとって、新しい可能性を楽しむことを意味していました。再び日本の地を踏んだのが2年前。そして、東京でベンチャー支援企業「Million Steps(ミリオンステップス)」を立ち上げたのが1年半前のことです。

 アサフ 僕が初めて日本を訪れたのは4、5年前ですね。サイバーセキュリティ関連のコンサルタントを務めていた時期です。ただ、個人的な日本との出会いはもっと昔にさかのぼります。もともと大学で言語学を学んでいて、そこで日本語と東アジア地域研究を専攻していたのです。日本については常々すごい文化だなと思っていたので、1年半ほど前、日本への転勤の話があったときにはとてもハッピーでしたね。

――日本語学習はイスラエルではどれぐらい一般的ですか?

アサフ・ダハン氏(Assaf Dahan) ©文藝春秋

 アサフ 1990年代の終わりぐらいから人気になりました。アニメのおかげです。イスラエルの若者たちがアニメを見るようになり、ときにはテレビ番組だけで基礎的な日本語を話せるようになった人までいるほどです。イスラエルには、字幕ばかりで吹き替え版はありませんからね。特に人気なのは、『ワンピース』『ナルト』あたりでしょうか。

 ニール 私は二人とは違って、日本との接点はほとんどありませんでした。大学では演劇を学んでいて、卒業後は演劇監督をやったり、美術館に勤めました。その後、ポーランドでイスラエルとの文化交流事業に携わりました。

 転機が訪れたのは2011年のことでした。東日本大震災があった影響で、日本への赴任を希望する外交官がいなかったのです! それで駐日大使館でのポストに空きが出ていました。2011年7月に面接を受けて、わずか45日後には日本の地に降り立ちました。5年間の任期付ポストでしたが、自分も成長できて、人脈も築くことができた。素晴らしい仕事でしたよ。任期を終えてからヨアブと出会って、いまはミリオンステップスで一緒に働いています。引き続き日本とイスラエルの架け橋になれることに喜びを感じています。私自身も、この間に日本人のパートナーを得て、いまは子どもを育てていますからね。