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「離婚するなら殺す。カッターで顔を」死刑囚“4度の結婚歴”と妻A子さんの焦燥…宅間守は「A子と話が出来んのよ」

#2

2021/11/22

「文藝春秋」12月号より、ノンフィクションライターの小野一光氏による「なぜ死刑囚・宅間守の妻になったか」を公開します。(全3回の2回目/#3へ続く)

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結婚を希望する別の女性

 じつは同時期に宅間との獄中結婚を望んでいた別の女性がいたという。ここではB子さんとする。

 B子さんは愛知県に住む当時36歳のフリーターだった。A子さんと同様に、公判中から戸谷弁護士を通じて、宅間に手紙を送ったり差し入れを続けていた。彼女もまた宅間との直接の面会を強く望んでおり、獄中結婚も辞さない覚悟だった。

 宅間と結婚したA子さんはメディアの前に姿を現すことはなかったが、B子さんは04年に女性週刊誌の取材を受けている。

写真はイメージ ©iStock.com

〈「彼が“世の中は皆、敵や”と供述していると報道で知って、“そうじゃない、私は敵じゃないよ”って伝えたかったんです」

 とB子さん(原文実名)はいう。自身は厳格な父の暴力を受けながら育ち、学校でもいじめに遭うなどして、周囲を嫌悪してきたという。

「高校を卒業後は家出して職業を転々としました。好きになった男性から暴力を受けたりして、ますます社会を嫌悪するようになっていました。そんな私だから、宅間さんを理解できると思ったんです」(B子さん)〉(『女性セブン』2004年2月5日号より)

B子さんには計算がある

 彼女は自らの境遇を宅間と重ね合わせ、そこにシンパシーを感じたことで、このような発言が出てきたのだろう。とはいえ宅間はB子さんではなく、A子さんを選んだ。そのため同記事のなかには、〈宅間死刑囚とA(子)さんの結婚を知り、ショックにうちひしがれた〉とある。

 前出の戸谷弁護士はB子さんの印象を次のように話す。

「簡単に言うと、宅間さんの妻になったら有名人になるわけじゃないですか。B子さんには、そうした計算があるように感じてしまいました」

 手厳しい意見に感じられるかもしれないが、戸谷弁護士がこうした発言をするのも、宅間の嘘と暴力にまみれた女性遍歴を熟知する弁護人だからだ。事件前、宅間は4度の結婚・離婚を繰り返していたが、今回の取材で全容が明らかになった。その概要を以下に記す。