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2021/11/22

(4)98年10月に結婚したF子さん

 3歳年下だったF子さんと宅間は、お見合いパーティで出会って、ほどなくして結婚。F子さんは、「宅間に生活の面倒を見て貰いたい」と周囲に語っていた。一児をもうけるが、妊娠中の99年3月、宅間は、用務員として勤務していた伊丹市内の小学校で、教師4名に精神安定剤入りの茶を飲用させて傷害容疑で逮捕(同年4月に措置入院となり起訴猶予)。3月末に離婚する。

 以上のように、自身の経歴を偽って相手に近づき、結婚した途端に高圧的な態度を取り、己の意思に沿わなければ躊躇なく暴力を振るう――。

 こうした過去の結婚生活について知る戸谷弁護士は、よほどの覚悟の持ち主でないと、たとえ獄中結婚といえども、宅間との交流は難しいと考えていた。

 そんな戸谷弁護士を納得させる熱意が、A子さんにはあったということだ。また一方の宅間は、A子さんとの結婚を選択したことについて、「(A子さんは)別嬪さんやったから」と、その理由を語っている。

A子さんの焦燥感

 宅間との獄中結婚の願いを叶えたA子さんは、もう一人、宅間の関係者にも接触していた。東海女子大学(現:東海学院大学)の元教授で、現在は「こころぎふ臨床心理センター」のセンター長を務める長谷川博一氏である。

 長谷川氏は研究者として、宅間が死刑判決を受けて以降、刑が執行されるまでの間に、大阪拘置所長から特別許可を得て、彼と15回の面会を重ねている。長谷川氏が宅間と面会をしているとの情報を得たA子さんは、彼にも接触を試みたのだ。

写真はイメージ ©iStock.com

 長谷川氏が当時を振り返る。

「大阪地裁で死刑判決を受けて、死刑が確定するまでの間にまず2回、接見禁止の部分解除を受けて面会をしていました。そのことが報道され、私のことを知ったのだと思います。A子さんからの手紙にははっきりと、『(面会や文通などの)外部交通権の確保のために入籍しました』と書いていました」

A子さんは精神的に追い詰められていた

 その手紙が届いたのは04年1月31日のこと。速達で送られたものだった。手紙にはA子さんの連絡先が書かれており、長谷川氏はすぐに彼女と連絡を取り、翌2月1日に大阪駅の喫茶店で会っている。

「当時、宅間さん本人は、早く死刑を執行して貰いたいと考えていた。そうなると再審請求などもしないため、刑が早く執行されてしまう。彼女は『死刑執行を踏み止まらせて欲しい』と、私に手助けを求めてきました。宅間さんが自暴自棄に陥るのを防ぐためにも、まずあなたが期待しすぎないようにと助言しました」

 以降、A子さんから頻繁に電話がかかってくるようになった。

「彼女は精神的に追い詰められていた。マスコミに自宅住所を知られて、取材されるのではないかと恐怖を訴えていました。不安で不安でしょうがない、眠れない、と。電話口で何度も相談に乗りました」