昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2021/11/22

宅間守は「A子とは話が出来んのよ」

 一方で、宅間はA子さんについて、自分の妻という意識を明確に持っていたようだ。長谷川氏の面会記録には次の記載があった。

〈「A子とまた電話したってください。また手紙書きます」と言って、ペコペコ頭を下げながら部屋を出て、再度振り返った〉(2月17日)

 またこの日、長谷川氏は宅間との面会後にA子さんと会っている。

〈妻(A子さん)は、再審請求のことを検討していた。手紙にどんな返事を書いたらいいのか、しんどい様子がありあり。(長谷川氏が)「これから何年間、ずっと続けても無理にならない程度に仕切り直しをしたほうがいい」と助言〉

面会者に宛てた宅間守の手紙(禁無断転載/文藝春秋)

「死んでほしくない」「こんなに苦しいんだね」

 死刑執行を遅らせたい、そのために再審請求を出させたいA子さんと、早期の死刑執行を望む宅間との間には深い溝があったようだ。

〈面会後、妻のA子と会い、30分程度話す。(中略)妻は心労が高まり、限界が近い様子。自分の立場が定まらない様子。彼の「死という選択」に対して、どう受け止めたらいいのか。涙を流す場面も。(長谷川氏は)「尊厳ある死も」「彼の選択の尊重」も提案。妻として「死んでほしくない」「こんなに苦しいんだね」の2つの真実の心を伝えていけばよいとアドバイス。傾倒しすぎないことも、再度確認〉(同前)

 当時の状況を長谷川氏が明かす。

「じつは私は、宅間さんからA子さんに対する不満の声も聞いていた。彼は、『早く死刑執行してほしいとか、こんな生き地獄は死んだ方が楽だとA子に言うと、「そんなことだめだ」って言うばかりで、話が出来んのよ』と。なので、A子さんに対しては、妻だったら自分の考え方に執着するだけではなく、彼に共感を示して寄り添ってあげる方がいいとアドバイスしていました」

 助言に従って、徐々にではあるがA子さんも考え方を変えていく。

#3に続く)

この記事の写真(5枚)

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文藝春秋をフォロー