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「ほら見て、こんなになってる」死刑囚の縄の痕を見せて号泣する妻A子さんの願い…“宅間さんの遺体を引き取りたい”

#3

2021/11/22

「文藝春秋」12月号より、ノンフィクションライターの小野一光氏による「なぜ死刑囚・宅間守の妻になったか」を公開します。(全3回の3回目/#1#2から続く)

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妻に宛てた遺言

 宅間が長谷川博一氏に出した8月3日付の手紙には次のようにある。

〈今日、A子さんに面会で、「早期執行を強く願っているが、君の活動とスタンスが、合わないようやったら、籍を抜いてくれてもよい」趣旨の事を言いました。しかし、籍は、抜かないし、面会も来ると言いました。他にも言いましたが、照れが入り秘密にしときます。つまり、A子さんの了解も取れたと言う事です。これで、胸のつかえが、取れました。今まで、主張は、していたものの、ヘソを曲げられたら、いかんと思い、だまし、だまし、していたのが、実状でした。これで、妻帯者として死んで行ける事が、ほぼ確定しました〉

 宅間夫婦の心境の変化を長谷川氏はこう分析する。

「死刑廃止に邁進する活動家だったA子さんが次第に一人の妻へと変貌する現象が起きたんじゃないかなと思います。A子さんの面会目的が少しずつ変わっていくにつれて宅間さんに少なからず影響を与えたと思います。まあ家族の絆ですよね。それまでの人生で彼が経験したことのないものです」

写真はイメージ ©iStock.com

2004年9月14日、死刑が執行される

 長谷川氏の口から次いで出た言葉に思わず息を呑んだ。

「ただし見せかけの絆ですよね。A子さんはアクリル板に守られていましたから。もし彼が自分の魂を全力でぶつけてきたら、間違いなく彼女は暴力の被害に遭っていた。彼は心理的に感情をぶつける際、暴力をふるう性向がある。とくに相手が異性で、しかも妻という立場の女性には必ず……」

 2004年9月14日、収容先の大阪拘置所で、宅間守の死刑が執行された。

 長谷川氏が当日の記憶を語る。

「午前11時頃、A子さんから連絡がありました。『執行されました』と彼女は泣きじゃくっていました。すぐに大阪に向かったのです。遺体が置かれていたのは西成区にある無縁仏の納骨堂がある部屋でした。私が到着すると、A子さんは激しく泣き、棺の蓋を開けて『見てください』と。彼女は亡骸の首を持ち上げ、『ほら、見て、こんなになってる』と食い込んだ縄の痕を見せてきました。

 そこでA子さんから遺体引き取り時の状況も聞きました。拘置所の裏門で、棺が載った車に乗ろうとすると、職員が駆け寄ってきて、宅間さんからのメッセージを伝えに来た。『ありがとうって僕が言っていたと彼女に伝えてください』と。この言葉で、彼女は救われたと思います」