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「人生最大の挫折」1977年に東大不合格だった開成高校の“がり勉”は、大人になってどうなったのか?《東大合格者数40年連続トップ》

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2021/11/24
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「文藝春秋」12月号より、ジャーナリストの小林哲夫氏による「開成OBの研究」を公開します。(全2回の1回目/後編へ続く)

開成OBの岸田文雄首相(1976年卒)。開成が東大合格者数で初めて全国一になった1977年の受験を含めて東大受験に3回失敗したことを「人生最大の挫折」と語っている ©共同通信社

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開成出身者が重要なポジションを占める政権

「恐れを知らない希望に満ちた時代だった。そうした時代をともにした仲間は人生の財産だ」

 2017年9月、開成高校OBの政治家と国家公務員が集う「永霞会」の設立総会。会長に就いた岸田文雄(1976年卒、以下、カッコ内は開成卒業年)は挨拶でこう語った。同会には、当時の安倍晋三首相がメッセージを寄せ、北村滋内閣情報官(当時、1975年)、元財務次官で日本たばこ産業会長の丹呉泰健(1969年)らが出席するなど、「岸田首相」誕生にむけた応援団の様相を呈していた。

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 それから4年。総理の椅子に岸田文雄が座り、首相秘書官には開成OBで元経産次官の嶋田隆(1978年)、新設された経済安全保障担当大臣には小林鷹之(1993年)が起用された。

「事務方のトップである官房副長官には結局元警察庁長官の栗生俊一氏が就きましたが、直前まで岸田総理擁立に尽力した開成OBの北村氏が有力視されていた」(政治部デスク)

 開成出身者が重要なポジションを占める政権の誕生に、永田町、霞が関のOBは大いに盛り上がった。

小林鷹之氏 ©共同通信社

 小泉純一郎首相の秘書官を務めた、前出の丹呉は、岸田首相にこうエールを送る。

「岸田さんには内政のみならず、外交でもリーダーシップを発揮してほしい。国際問題が山積みのなか、外交は内政以上に速やかなトップの判断が求められる。いろいろな意見を吸い上げた上で決断し、実行していただきたいと思います」

東大受験失敗が「人生最大の挫折」

 言わずと知れた東大合格者日本一の進学校である開成高校。だが、岸田自身は東大受験に3度失敗し、早稲田大法学部に進学。受験失敗を「人生最大の挫折」と語っている。

 商工中金代表取締役社長をつとめる関根正裕は、岸田の同級生であり、野球部で一緒にプレーした仲間だ。2年生の夏季大会初戦で岸田が内野ゴロをトンネルして最終的にコールド負けを喫したことは、いまでも語り草となっている。

 セカンド岸田と二遊間を組んでいた関根が振り返る。

「入学当初は野球が上手いという印象はなかった。ただ本当にひたすら真面目にひたむきに練習していた。彼はサボることを知らない。合宿の練習後にはランニングが恒例になっていたけど、常に最後まで走りきり宿舎で倒れ込むこともあった。結果ちゃんとレギュラーになったしね」

 同じクラスで三菱製紙の欧州現地法人で社長をつとめる林康司が懐かしむ。