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2021/11/25

口座から金が消え、ほぼ空っぽの状態に

「コンティニュー」は91年9月に設立され、当初は明菜の前事務所の社長の友人が代表を務めていた。明菜をワーナーからMCAビクターに移籍させる受け皿として、前事務所の社長とビクター関係者らが密かに立ち上げ、ビクター側からは当初、約5000万円が運転資金として振り込まれていた。そして彼らは栃内に会社を預け、経営から手を引いた。

 ところが、栃内が社長に就任した時点で、口座から金が消え、ほぼ空っぽの状態になっていたのだ。

中森明菜(1992年当時) ©文藝春秋

「前任者らが費消していたことが、のちに分かりました。明菜には月500万円の給料を約束していたので、ビクター側に追加資金をお願いしました。そのうちに、明菜の大量にある衣装のクリーニング代などの請求書があちこちから届き始め、催促の電話も入るようになった。都銀の支店長からは呼び出しを受け、明菜が、実家のある東京都清瀬市に近い東武線沿線に約1億円を借り入れて建てたビルのローン返済が滞っていると指摘を受けました。このビルは彼女が家族のために建て、一時は家族が店舗で飲食店も経営していました。次から次へと支払いを迫られ、明菜に4カ月ほど給料を払った時点で、資金繰りはいよいよ行き詰ってきました。ビクター側は『何でそんなにお金が掛かるのか』と資金の供給をストップし、危機的な状況に陥ったのです」(前出・栃内)

目は真っ赤で、何度も嘔吐し、フラフラの状態

 一方、明菜の仕事も、決して順風満帆とは言い難い状況だった。

 92年4月、明菜は安田成美とのダブル主演で、女性同士の友情を描いたドラマ「素顔のままで」(フジテレビ系)に出演。初の連ドラ出演ながら、平均視聴率26.4%と高視聴率を叩き出し、演技力も高い評価を受けた。

 しかし、当時の明菜には、時に明らかな変調が現れることがあった。

「明菜が楽屋からまったく出てこず、共演の安田成美さんも困惑していました。一報を受けて私がスタジオに駆けつけると、今度はトイレに籠って出てこなくなったんです。ようやく出て来たかと思ったら、目は真っ赤で、何度も嘔吐し、フラフラの状態になっていました」(同前)

中森明菜

 その数カ月後、明菜はフジテレビの新春ドラマ「悪女II・サンテミリオン殺人事件」の撮影で、フランスのロケに参加。その際には滞在先のパリでも、トイレに籠り、丸1日出てこないことがあったという。

 心身のバランスが崩れ、身体が悲鳴をあげているかのような異変。日本の芸能メディアは、明菜が再び自殺未遂を図ったと騒ぎ立てた。

 ただ、明菜が、遅々として進まない歌手活動の再開にジレンマを感じていたことは確かだった。