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2021/11/25

 そして、明菜が社長を務めるNAPCは、桜井が率いる「インディジャパン」と業務提携し、テレビ局やレコード会社との交渉などのマネジメントを委ねることになった。当時は、MCAビクターとの契約が切れ、新たなレコード会社を探していた時期だったが、インディジャパンの紹介で、第一興商傘下のレコード会社「ガウスエンタテインメント」と契約。明菜にも、ようやく迷路の出口が見え始めていた。

 歌手だけではなく、98年1月からはサスペンスドラマ「冷たい月」(日本テレビ系)で久々に主演し、その鬼気迫る演技が好評を博した。

 当時を知るNAPCの元スタッフが語る。

「『冷たい月』は永作博美さんとの共演でしたが、番組の打ち上げで永作さんが泣き出してしまったんです。とにかく過酷な撮影スケジュールだったので、こみ上げるものがあったのだと思いますが、『明菜との共演が大変だったんだな』と受け取る人もいました。明菜さんは元来、生真面目で、融通が利かないところがありますから、演技の場面でも『おかしい』と思ったら遠慮せずに口に出してしまう。それで周囲が振り回されるんです。その代わり、本人も役作りに没頭しているので、悪気を感じることもないのです」

保証人をつけてもなかなか部屋を貸して貰えない

 ドラマで幕を開けた98年は、新譜のリリースに続いてコンサートツアーの予定も入り、明菜にとっては久々に充実した日々だった。

©文藝春秋

「明菜さんは当時携帯電話を持っていましたが、その携帯は江田さんに預けたまま、まったく使っていませんでした。他人と個人的に連絡をとる意思もなく、その必要もなかったのでしょう。ただ、どこに行っても取材陣がいるので、保証人をつけてもなかなか部屋を貸して貰えず、8カ月近く都内のホテルに住んでいました」(同前)

 外出が減り、出不精になると、楽曲の制作意欲とは裏腹に、最初の一歩が踏み出せなくなっていた。

(文中敬称略、後編に続く)

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