昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2021/11/25

明菜が朝方まで飲み明かしては、酔っぱらって現場入り

「明菜が朝方まで飲み明かしては、酔っぱらって現場入りし、撮影もいつものマイペース。それで共演者のスケジュール確保が難しくなったなどと言われました。ただ、撮影が夜中の2時、3時まで続き、帰宅した後に眠れなくてお酒を飲む。そしてまた早朝から撮影という悪循環で、とくに彼女が常軌を逸した行動をしていた印象はありません。制作者側から『病気を理由に引いて欲しい』と言われて降りただけで、批判を受けても『私は悪くない』というのは、彼女にとっての正論なのです」(前出・当時を知る元マネージャー)

中森明菜(1994年当時) ©文藝春秋

 番組降板で、芸能メディアは挙って明菜の奇行癖を書きたて、その旗振り役を山口組の元組員が担った。そして99年11月、所属レコード会社、ガウスの社長は記者会見を開き、明菜のわがままを糾弾したうえで、「(明菜は)業界に置いてはいけないアーチストだ」と引退を勧告し、最後通牒を突き付けたのだ。

 明菜はまた、すべてを失った。

 こうして暗黒の90年代が終わりを告げようとしていた。

自宅食器棚から大量のフォークやナイフが

 彼女の元マネージャーは、今でも忘れられない光景がある。

 それは、明菜に頼まれ、自宅に引っ越しの整理に行った時のことだ。

「そこには近藤真彦と一緒に買った黒い家具があって、『縁起が悪いから茶色に塗って』と言われましたが、そのことよりも、台所の引き出しでみつけた夥しい数のフォークやナイフ、スプーンに驚きました。フォークだけで約80本出てきました。ふと、彼女がホテルでルームサービスを頼んだ時、フォークやナイフを持ち帰ろうとしていた場面を思い出しました。スタッフに一声掛けるのですが、ツアーを回ると彼女の鞄がみるみる膨らんでくる。その中身はナイフやフォークでした」

1989年末の金屏風会見での中森明菜(右)と近藤真彦(左) ©文藝春秋

 マネージャーが明菜に問い質すと、「家に持ち帰っても使わないんだけどね」と笑うだけだったという。

 幼い頃、裕福ではない家庭に育った明菜にとって、自分と家族、それぞれが専用の煌びやかな食器類を持つことは憧れだったのかもしれない。心の奥底で、本当は近しい人たちと食卓を囲むような“温かなもの”を求めているのではないか。不器用ゆえの潜在意識が、そこに現れているように思えて仕方がない。