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2021/11/20

なぜ約30年前から二刀流選手の誕生を夢見たのか

 実は、マドン監督は、約30年前から二刀流選手の誕生を夢見ていたのだ。

 1992年、エンゼルス傘下のマイナーチームで監督を務めていた頃、マドン氏はドラフト2位指名された新人左腕ウォレンの身体能力の高さを見込み、投手、DH、さらに外野も守らせたいとGMに相談していた。

 1990年代のメジャーでは、投手も野手も完全な分業制でプレーするオーソドックスな野球が主流だった。結局、二刀流は実現こそしなかったものの、この時代からマドン監督は球界の常識、潮流にとらわれることなく、二刀流選手の可能性を模索していたのだ。このマドン監督の存在抜きに、大谷の二刀流が成功することはなかったはずだ。

 マドン監督の特徴的な資質といえば、固定観念に縛られない柔軟な思考、選手との固い信頼、対話重視の姿勢の3つが挙げられる。

リーグ最優秀選手(MVP)に選出された大谷翔平選手。日本人ではイチロー氏の受賞以来20年ぶりの快挙となった ©共同通信社

「野球はアート」で、「バランスが重要だ」

 現役時代、キャッチャーだったマドン監督はエンゼルスに入団するも、メジャー昇格は叶わず。そして引退後エンゼルスでコーチ経験を積み、名将への道のりを歩み始める。

 初めて監督を務めたタンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)では、定位置だった最下位から08年に球団初の地区優勝をもぎとると、そのままア・リーグも制覇。チームをワールドシリーズ進出へと導いた。

 つづくシカゴ・カブスの監督時代には16年、71年ぶりとなるナ・リーグ優勝、さらに108年ぶりにワールドシリーズを制覇し、名実ともに「名将」の称号を手にする。

 レイズ、カブス時代から、マドン氏は、内野や外野など複数ポジションを守れるユーティリティープレーヤーを重用し、データに基づいて極端な守備陣形を敷くなど、斬新な戦略を取り入れてきた。一方で、バントや盗塁でチャンスを広げて、1点を取りにいく古典的な戦術も、「1985年の野球」と呼んで好んだ。伝統を重んじ、データ解析と自身の斬新なアイデアをミックスさせる。そんなマドン氏は「野球はアート」で、「バランスが重要だ」と常々、語っている。

「今日は私にとって特別な日で、非常にうれしい。自分たちの野球の文化、戦い方を確立し、エンゼルスらしい試合を戦っていきたい。まずは(選手と)関係性を構築し、それから物事を進めていきたい」

 19年秋、エンゼルスの監督就任会見では、滔々と持論を語った。