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1966年の同じ日に生まれた女性、ふたりの人生の選択を描く 

松井雪子が『森へ行きましょう』(川上弘美 著)を読む

2017/11/27
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『森へ行きましょう』(川上弘美 著)

 一九六七年生まれの私が二十七歳で嫁に行くときに、明治生まれの祖母が遠方からはるばるやってきて、ほにゃりとした京都弁で嫁の心得を説いた。「毎朝、夫のために化粧をしなさい」、「結婚は忍耐。なにごともガマン」など、どれも「女性は男性をたてるべし」だった。

 そんな時代だった。

 総合職につく女性が出始めたものの、結婚が決まると周囲が仕事は続けるのかと訊き、二十五歳を過ぎると賞味期限切れのクリスマスケーキと揶揄された。景気はよかったが、女性にとってはまだ選択肢が少ない、息苦しい時代でもあった。

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「森へ行きましょう」は、一九六六年生まれのふたりの女性が主人公。「留津」と「ルツ」という。

 留津とルツの世界は、同じ時間のなかの異次元に存在するパラレルワールドだ。

 同じ日に生まれ、団地住まいの父母の名前も一緒。巡りあう男性や友人も重なる。しかし彼らはだまし絵のように微妙にディテールを変えながら、それぞれの世界に関わってくる。

 同じ他者が少しずつリンクする仕掛けにより、留津とルツそれぞれの結婚、恋愛、仕事など、人生における岐路の選択が、より濃く浮き上がってくる。

 ほんのわずかにずれているだけで、人生はおおいに変化する。

 誰もが思うことだろう。

「あのとき違う道を歩んでいれば、まったく別の人生をおくっていたかも」と。

 留津とルツの人生は、世間一般の女性たちと同じく、悦びや受難に満ちている。

 私なんぞは、「モヤモヤするけど、まぁいいか」の日々だが、人生を思索するふたりの言葉は、じつに明快だ。自己分析というよりは神々しく、智恵に近いかもしれない。

 その言葉たちに急所をつかれたり、胸をえぐられたり、救われたりしながら、引き寄せられていく。まるで暗い森のなかに光をおびて浮かぶ道しるべのように感じる。

 留津とルツは、いかなる切ない状況に陥ったとしても、深い森に迷い込んでいるような閉塞感はない。

 それはふたりの誕生から五十歳を越えるまでの人生が、一歳ずつ年を重ねながら、交互に描かれているからだろう。

 私たちは、どんなに悲しい出来事に突き当たり、絶望したとしても、命あるかぎり次の誕生日に向かって歩いていく、じつにたくましい生き物なのだ。しみじみ自覚した。

 多くの人が共有し、愛おしく思うであろう留津とルツの世界は、私のパラレルワールドでもある。

かわかみひろみ/1958年、東京都生まれ。1996年、『蛇を踏む』で芥川賞。2001年、『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞。2007年、『真鶴』で芸術選奨文部科学大臣賞、2015年『水声』で読売文学賞。ほかの作品に『神様』、『龍宮』、『ニシノユキヒコの恋と冒険』など。

まついゆきこ/1967年生まれ。小説家。マンガ家。小説『肉と衣のあいだに神は宿る』、エッセイマンガ『ぐうたら山暮らし』など。

森へ行きましょう

川上 弘美(著)

日本経済新聞出版社
2017年10月11日 発売

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