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母ヤマザキマリの『テルマエ・ロマエ』実写映画化で義父の“恨み”はピークに…苦労を知る息子が思わず発した“一言”

2021/11/29

 ヤマザキマリさんを母に持つ、フリーランスカメラマンの山崎デルスさんによる巻頭随筆「漫画家の母を見つめて」を「文藝春秋」2021年12月号より掲載します。

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頭の正常な人間の発想ではないな

 リスボンで暮らし始めて4年目、母の描いた漫画『テルマエ・ロマエ』がとある漫画雑誌に掲載された。作品を見せられた時はその素っ頓狂な内容に驚いて、頭の正常な人間の発想ではないな、というのが素直な感想だった。だからまさかヒットするなどとは想像もしていなかった。

 程なくして、母の夫で私の義理の父であるベッピは研究の拠点をシカゴ大学へと移し、母と当時14歳だった私は中学卒業までポルトガルに残ることになった。母が忙しくなったのも、その頃からである。『テルマエ・ロマエ』は1巻が発売されるやいなや重版がかかり、わずか数ヶ月後には「マンガ大賞2010」と「第14回手塚治虫文化賞」を同時に受賞した。私も母も、日本で何が起きているのかさっぱり把握できなかった。

写真はイメージ ©iStock.com

リスボンからシカゴへ

 リスボンの中学校を卒業後、母とシカゴへ引っ越した。6年間も過ごし、やっと現地の言葉や文化が身についたポルトガルを離れるのは心苦しかったが、そもそも私にとって国々を跨ぐ引っ越しは当たり前のことだったので、自分の意思通りにならない人生の展開について深く考えない癖がついていた。

 シカゴの高校では3ヶ国語が話せるからという理由で、IBプログラムという進学コースに入ることになった。アメリカの教育水準はリスボンの教育レベルとは比較にならなかった。私は毎晩、山のような課題とテスト勉強に時間を費やし、睡眠時間は毎日3時間足らず。一方、シカゴ大学で研究を進めていたベッピも、授業の準備と論文執筆に明け暮れ、日に日にストレスを溜めていくようになった。

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