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2021/11/27

落合の退任に対する議論が巻き起こった

 そして、あらゆることに対して別れを前提としていた。

 落合の退任が決まったのは2011年の9月22日、事実上の解任であった。ところが、それまで2位にいたチームはそれを機に首位を逆転し、優勝してしまった。

 名古屋では落合の退任に対する議論が巻き起こり、常勝監督の契約を解除した球団へ批判の矛先が向いた。

 その渦中、私が勤める新聞社に、中日の応援団を名乗る人物から電話があった。

『落合監督の退任に抗議する集会をやろうと考えています。大勢の人間が集まると思います。我々に協力してもらえないでしょうか?』

 どうするべきか、私はすぐには判断できなかった。だから、落合に訊いてみた。

落合博満氏(左)と荒木雅博氏 ©文藝春秋

 すると一躍、惜しまれる英雄となった指揮官は言った。

「やめておけ。俺は契約を満了した。それを更新するかどうかは球団が決めることだ。やりたいとか、やりたくないとか、そういう世界じゃない」

 結局、落合は去り、私もそのシーズン限りで名古屋を離れることになった。

「ひとつ覚えておけよ」落合最後の言葉

 その年の暮れ、私は落合のもとをたずねた。よく晴れた寒い日だった。転勤を伝えた私に、落合は言った。

「ひとつ覚えておけよ」

 場の空気が張りつめた。

「お前がこの先行く場所で、俺の話はしない方がいい。するな」

 言葉の意味を飲み込めない私に向かって、落合は続けた。

「俺のやり方が正しいとは限らないってことだ。お前はこれから行く場所で見たものを、お前の目で判断すればいい。俺は関係ない。この人間がいなければ記事を書けない、そんな記者にはなるなよ」

嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(文藝春秋)

 それが監督としての落合から聞いた最後の言葉だった。

 それから10年が経つが、落合への緊張感はいまだ消えない。それが私を惹きつける。

 落合は誰かと繋がろうとも、理解してもらおうともしなかった。承認と同調を求める社会にあって孤立している。時代との、その圧倒的な隔絶が、書き手を駆り立てるのだ。

 

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