起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。
もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第81回)。
雨の中の合同慰霊葬儀
降りはじめた雨のなか、福岡県久留米市にある葬祭センターに集まってきた喪服姿の男女は、みな一様に押し黙っていた――。
2003年7月13日のことだ。時計の針はまもなく午後1時にさしかかろうとしている。
総勢250人にも及ぶ弔問客は、例外なく建物の前にある駐車場に車を停め、受付を済ませると足早に式場内へと入っていく。集まった報道陣が声をかけようとすると、顔をそむけて無言で駆け出す。
かたくなともいえる様子は、悲しみに言葉を失ったというよりも、身内に突然ふりかかった忌わしい出来事に口を閉ざす、といった表現のほうがふさわしい感がある。その姿は明らかに拒絶、だった。
正面入口には、大きな表示板が掲げられていた。
〈緒方孝(仮名、以下同)・和美・隆也・智恵子・花奈・佑介、合同慰霊葬儀式場〉
自然災害や事故でないにもかかわらず、6人もの名前が連なる葬儀。さらに、それだけの人数の葬儀であるはずなのに、棺がまったくないということが、「遺体無き殺人事件」の無残さを物語っていた。
「すべてのことは遺族の方々の胸に秘めさせてください」
式場内に入ってすぐの廊下の突き当たりには花壇があり、亡くなった6人が揃って収められた写真が飾られている。家族全員の集合写真ではなく、個々の写真を合成して作られたものだ。
その奥には祭壇となった広間があり、壁一面の花のなかに6人各々の写真が額に入れられ、横一列に並ぶ。
約1時間半後、式場をあとにする人々は、やはり集まってきた時と同じで、みな一様に口をつぐみ、小走りで車に乗り込み立ち去っていった。
涙を拭いつつ式場から出てくる女性もいたが、警備員は報道陣が敷地内に入ることを一切許さず、そばに寄って話を訊くこともままならない。
「すべてのことは遺族の方々の胸に秘めさせてくださいということです」
式場関係者の短い言葉が、唯一の公式なコメントとして出されただけだった。それが残された親族や関係者のやりきれない心情であると捉えることしか、その場にいた私にはできなかった。
これが、松永太と緒方純子によって殲滅された緒方一家の、事件発覚から1年4カ月後の葬儀の様子である。