文春オンライン
《客室写真多数》いずれは消えゆく非日常の空間…だからこそいま見ておきたい「昭和ラブホ」の魅惑的な世界を探訪する

《客室写真多数》いずれは消えゆく非日常の空間…だからこそいま見ておきたい「昭和ラブホ」の魅惑的な世界を探訪する

2021/12/05

genre : ライフ, , 娯楽

 日本で生まれ、日本で育ち、時代に合わせながら進化を続けてきたラブホテル。いまや日本の文化のひとつとして外国人観光客にも人気だ。

時代とともに変化を遂げてきた「ラブホテル」

 ラブホテルの起源は江戸時代、茶屋の奥に布団が敷かれた「出合茶屋」。そして、明治時代は男女の密会場所を提供する貸席業「待合茶屋」へ。昭和のはじめには、「円宿」と呼ばれる時間貸しもする安宿が現れ、これがラブホテルの原型とされている。戦後には本来労働者の宿泊所として経営されていた和室旅館が、短時間での利用料金を設定した、「連れ込み宿」が流行した。連れ込み宿は狭い住宅事情から、夫婦だけの時間が持てる、また、誰もが銭湯を利用していた時代に人の目を気にせずお風呂に入れることで大いに繁盛した。

 1960年代になると、モータリゼーションの発展に伴い、車で訪れる郊外型のラブホテル、モーテルが誕生する。

ADVERTISEMENT

 1970年代、大阪万博を機に海外への憧れが強くなると、横文字の屋号や西洋の城を模したラブホテルが増加した。内装には回転ベッドや鏡張りの壁といった気持ちを高める設備や、御殿、宇宙、遊園地などさまざまなテーマでデザインされた、非日常を味わえる部屋が作られた。

大阪・天王寺に位置する「ホテル醍醐」外観

 特にこの時代の、突拍子もない発想力と景気の勢いに任せた贅沢な作りは、今の時代も私たちを驚かせる「昭和遺産」として注目されている。

 1985年、新風営法の施行により昭和のラブホテルを象徴する回転ベッドや、鏡張りの部屋が新たに作られなくなり、時代とともに内装や設備の流行も変化。それに加え、建物の老朽化や高額な維持費、オーナーの引退などにより、昭和の時代に作られたラブホテルは年々消えつつある。

大阪・京橋の路地裏で40年以上営業を続けるラブホテル

 そんな時代にありながら、大阪・京橋の路地裏に、40年以上変わらず営業を続けているラブホテルがある。ホテル富貴だ。

ネオン管がいい雰囲気を醸し出すホテル富貴の看板

 私は、友人の撮った写真で初めてホテル富貴の存在を知った。イベント会場として使われた富貴の写真には、きらめく豪華なシャンデリア、おしゃれな壁紙、レトロなタイル、さらに和風、洋風、中華風とそれぞれテーマを持つ部屋が写っていた。写真は何十枚も続き、昭和レトロが好きな友人を魅了してやまないようだ。その熱量は私にも伝わり、いつか行ってみようと心に決めたのである。

 大阪に泊まる予定ができた。宿泊先はもちろんホテル富貴だ。しかしラブホテルへ行くとなると、形だけでもパートナーが必要なのでは?

 調べてみるとひとりでも泊まれること、好きな部屋をあらかじめ予約できることを知る。ホームページには部屋番号とともに部屋の写真が並んでおり、ここから選ぶようだ。しかしラブホテルに予約の電話など掛けたことがない。女性ひとりで泊まる人なんているのだろうか…昭和のラブホテルというと、薄暗い照明、古びた設備、劣化した内装、無愛想な受付をイメージするが、果たして私も楽しめるのだろうか。写真だけではわからない…。いらぬ想像を巡らせながら、電話をかけることを逡巡していた。

 思い切ってダイヤルを回すと、丁寧で感じのいい女性が電話に出た。