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「こうするしかなかったんだってね…」“自殺”したはずの妻を“殺した”容疑で刑務所へ送られた男性が明かす“異常な裁判”の実態

『インド残酷物語 世界一たくましい民』より#2

2021/12/05

 裁判に訴える動機は、勝って自分の主張を認めてもらいたいからと考えるのが一般的だろう。ところがインドの一部では、勝ち負けよりも、裁判に訴え出ることに価値があるという風潮があるという。

 長年、インドの社会・文化人類学的研究を行ってきた京大准教授の池亀彩氏は、その背景には、インド社会における「メンツ」意識があると説明する。ここでは、池亀氏の新著『インド残酷物語 世界一たくましい民』(集英社新書)の一部を抜粋。同氏が調査でインドを訪れた際に体験したエピソードから、インド社会の意識を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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スレーシュが刑務所に行くことになったわけ

 「マダム、僕ね、刑務所に入っていたことがあるんですよ。隠しておいて後でバレて、お互い気分が悪くなるなんてことになるより、最初からはっきりさせておいた方がいいと思いましてね。刑務所に入っていたドライバーは嫌だっていうなら、他のドライバーを呼びますから。僕は全然気にしませんから、はっきり言ってくださいね」

 運転手のスレーシュから突然そう切り出されたのは、いつの頃だったか。おそらく2度目に彼に運転を頼んだ時ではないかとおぼろげな記憶をたどる。

 公共の交通機関が発達していない農村部を調査するには、あらかじめ車を用意していくのが便利である。そうでなければ、延々と来ないバスを小さな町のバス停でコーヒーをすすりながら待つか、あるいは農村部で奇跡的に車を持っている超大金持ちとなんとか知り合いになることを夢見るしかない。インドでは車だけ借りるという日本でいうところのレンタカーのシステムは一般的ではない。そもそも運転免許を持っていない私には無理な相談だ。だからドライバー付きで車を借りることになるわけだが、それをどこで調達するか。これはそう簡単ではない。農村部の調査を始めた当時、ほどほどに若い女が1人だけで安全に調査するというのは、インドではかなり緊張を伴うものであった。今もその状況はさほど変わっていないと思う。これには地方差もずいぶんとある。治安の良い南インドでは女性が1人で調査することは容易とはいえないまでも不可能ではないのだが、女性が1人で外を歩くことさえ眉をひそめられるような北インドでは、ずっと難しいだろう。