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《秘蔵写真》「FBIに捉えられ、便器に頭を入れて寝た父」真珠湾攻撃から80年、ジャニー喜多川が米国に残っていたら

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2021/12/08
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FBIに捉えられ、便器に頭を入れて寝る

 開戦後、最初に動いたのはFBI(米連邦捜査局)である。FBIは、開戦後3日間に「国益を脅かす危険な敵性外国人」として、ハワイを含む全米で日系社会のリーダー1291名を検挙した。高橋成通はそのひとりだった。

 フランシスさんが、遠いあの日を回想する。

「自宅の居間で遊んでいたら、男たちがバタバタと入ってきて父を連れ去っていきました。3歳だった私にはわけがわからなかった……」

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 残されたのは、英語を解さない母とフランシスさんはじめ3人の幼児。そのうえ、母は9カ月の身重だった。

ジャニー喜多川氏と不思議な縁で人生が交差するフランシス・ナカムラさん(83) photo Yukiko Yanagida McCarty

 高橋はロサンゼルス郡の監獄に投獄されたが、狭い牢屋に幾人もが押し込められたため、「(男子用)便器に頭を入れて寝る」ありさまだったと、自伝『アメリカ開教』に記している。

 2週間後、窓をブラインドで覆った列車で護送されたのは、モンタナ州の司法省監視所。「屋根の軒はしからの垂れ水が土地にとどく氷柱」になるほどの極寒地のバラックに4カ月抑留された。ここではほかに、役人の横流しに起因する貧弱な食糧事情にも悩まされた。

 その後は、砂塵舞うオクラホマ州での険しい天幕生活、刺し蝿や毒ダニの猛攻撃を受けた南部ルイジアナ州の沼沢地帯での兵営暮らしを経て、ニューメキシコ州の司法省監視所へ。次第に日本の敗戦色が濃厚になり、同胞がひとりまたひとりと釈放されるなか、高橋は終戦の前年までここに留め置かれる。

 先述のように、高野山米國別院は寄港する日本海軍を手厚く歓待した。真珠湾攻撃で屈辱を受けたアメリカが、「海軍と気脈の通じた人物」として高橋に目をつけたとしても不思議ではない。

 フランシスさんが語る。

「別院は、『水兵さんのお寺』と呼ばれるほど、若く薄給な日本の海軍兵のために盛んに食事会を開いていました。それを始めたのは、温情家の諦道さん。あの方がアメリカに残っていたら、まちがいなく父と同じ境遇に置かれたでしょう。もちろん、父も諦道さんもスパイ行為などしていませんよ」

高野山米國別院(旧会堂)を訪れた日本海軍の水兵たち。右手奥に喜多川諦道の姿が見える photo courtesy of Koyasan Beikoku Betsuin of Los Angeles