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美智子さまは雅子さまを「あの方は頭の良い方だし、熱心だからすぐに」と…何事もいい加減にできない雅子さまのご性格が垣間見えた“瞬間”

#2

2021/12/14

source : 文藝春秋 2013年6月号

genre : ニュース, 皇室

 12月1日、天皇皇后両陛下の長女・愛子さまがご成年の日を、12月9日には雅子さまが58歳の誕生日を迎えられました。元学習院OBオーケストラ副団長で、天皇陛下の相談役を長年にわたって務めた鎌田勇氏の手記(「文藝春秋」2013年6月号)を再録します。(全3回の2回目/#3に続く)

2002年8月、三井浜を散策されるご一家 ©JMPA

(※年齢、日付、呼称などは掲載当時のまま)

◆ ◆ ◆

雅子さまが一度、候補から外れた頃のこと

 正式にご結婚が決まる直前まで、私はどなたとお話が進んでいるのか存じませんでした。ただ、私共の音楽会を一時中断していましたので、きっとお話が上手く進んでいるのだろうと、うすうす感じていました。

 その有力な候補は、やはり雅子さまでした。ご結婚が決まるまで、殿下は何度となく雅子さまのお話をされていたので、私も知っていたのです。

「雅子さんのおじいさまが、公害病で問題になったチッソにお勤めになっていたそうです。雅子さんが悪いわけではないのに。可哀想だ」

 と殿下が嘆いたことがあります。おそらく雅子さまが一度、候補から外れた頃のことでしょう。私はバカバカしいことだと思ったので、「殿下が結婚されるのはチッソでもおじいさまでもなく、雅子さんなんですから、そんなことは関係ないのではないでしょうか」と申し上げ、「雅子さんが良いんですか」と尋ねました。すると殿下はムニャムニャと言葉を濁されてしまいました。ひょっとすると雅子さんに決まるかもしれない。そう思ったのはこの時です。

1991年11月、ベーカー米国務長官来日の際、通訳を務めた小和田雅子さん(当時) ©共同通信社

 ある時、大使館主催のパーティで、殿下のお隣に座ったのが雅子さまだったそうで、「外交官のすばらしい女性がいて」と少し興奮気味にお話しされていた記憶もあります。「うちへお連れになりますか」と聴くと、「音楽はやりませんから」とお答えになる様子はやはりお淋しそうでした。

 雅子さまへの思いを胸にしまわれながら、殿下は長い歳月、孤独にたえていらっしゃいました。一般国民のように愚痴をこぼしたり、沈んだ顔を見せることもできません。常にご自分を厳しく律しておられた。その精神力は、はるか年上の私も感心することが何度もありました。

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