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連載完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件

「『死体なき殺人事件』の立証で一番困ったのは…」担当検事が振り返る、北九州監禁連続殺人事件の“緻密な捜査”

完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件 #84

2021/12/14

genre : ニュース, 社会

 起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。

 もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第84回)。

北九州監禁連続殺人事件をめぐる人物相関図

「なんかちょっと本部事件くさいな、と」

 2002年3月に逮捕された松永太と緒方純子。そんな彼らの犯行の実態のみならず、逮捕、起訴に至る流れから、福岡地裁小倉支部での裁判における彼らの人となりについてまで、最も知悉している人物がいる。

 当時、福岡地検小倉支部の検事として松永と緒方の取り調べを行い、さらには彼らの一審における公判担当まで携わった金子達也元検事である。現在、千葉県千葉市で弁護士をしている金子氏に、当時のことを振り返っていただいた。

写真はイメージ ©️iStock.com

「もともとこの事件は、保護された女の子が監禁されていたというのが始まりでした。で、その監禁されていた環境のなかで、人が何人か死んでいる、みたいな話が最初からあったんです。連絡を受けたのはたしか金曜日。そろそろ今日の仕事も終わりだと思っていたときに、小倉北署の刑事一課の方から電話をいただいて、なんじゃそりゃって。それが正直な感想でした」

 殺人などの凶悪重大事件が発生した場合、所轄署に捜査本部が設置されることになる。当時、金子氏はそうした本部事件を扱う検事だった。松永と緒方による監禁から逃げ出し、祖父と一緒に警察に駆け込んだ広田清美さん(仮名、以下同)は、当初から、自分の父親と、緒方の親族6人が殺害されていることを口にしていたという。

「それで、なんかちょっと本部事件くさいな、と。関係先とかを捜索したら、その女の子が言ったような状況がけっこうあって、一つ一つ駒を進めていくと、いやあ、嘘じゃないよねって……。あのときは福岡県警の動きも早くて、すぐに捜査本部を立ててくれたんですよ。通常、人が死んでないと、捜査本部なんて立たないんですね。でも捜査本部が立って、とにかく、なにがなんだかわかんないけど、やれるだけのことはやりましょうって。当時、小倉北署の刑事一課長がかなり鋭い人で、警察の初動が良かった。とにかく地検に連絡しろということで、私のところにもすぐに連絡が来たし、それでまあ、本部にも連絡して、捜査一課が入ってきて、瞬く間に態勢が整いました」