昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

野田クリスタル“伝説の土下座”の真相「決勝がトラウマに…」M-1で“殺されかけた”マヂカルラブリーが上沼恵美子の次に笑わせたい人は?

#2

2021/12/18

 2017年に抹殺されかけた2人は、同じステージで頂点に君臨した――。異色のM-1王者であるマヂカルラブリーの内面にノンフィクションライターの中村計氏が迫った「“漫才の革命児”マヂカルラブリーが上沼恵美子の次に『どうしても笑わせたい人』」(「文藝春秋」2021年3月号)を特別に公開する。(全2回の2回目、前編から続く)

マヂカルラブリーの野田クリスタル(左)と村上(右) ©文藝春秋

◆ ◆ ◆

トリオでプロを目指していた村上の誤算

 当時、法政大学のお笑いサークルに所属していた村上は、大学の学園祭で初めて野田の芸を見た。ただ、野田の芸風は学生にはハードルが高過ぎた。村上が思い起こす。

「クソすべってましたね。『ゲド戦記』の音楽を流して、何かひと言、ボソッと言うネタだったと思うんですけど」

 ただ、そう言いながらも、村上は唯一無二の存在感にどこか惹かれてもいた。そしてライブで野田を観るようになり、野田の魅力に次第にからめ取られていく。

 村上は学生時代、トリオで活動し、「大学お笑い日本一決定戦」で連覇を達成している。大学卒業後はプロになるつもりだったが、教職課程を履修していたため地元愛知県の出身中学で教育実習をし、就職活動もした。ただ、父の鈴木裕滋はこう言う。ちなみに「村上」というのは芸名で、村上の本名は鈴木崇裕だ。

「今思うと、就活はポーズだったんでしょうね。一度、職場のお笑い芸人でいいじゃないかと言ったんです。職場のムードメーカーみたいな存在になればいいじゃないか、と。でも無視されました」

 ただ、村上の中に誤算があった。村上とトリオを組んでいた2人がどちらも就職してしまったのだ。最低でも1人はともにプロの道を歩んでくれると思っていたのだが。

 そのとき、村上から相談を受けたのがカオポイントの石橋だった。

「忘れもしない、鳥貴族の中野北口店のカウンターでしたね」

z