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genre : ライフ, 社会, 人生相談

姉への憎しみと怒りが我慢の限界に達したのは、門脇さんが中学2年生の冬のことだった。包丁を手に、寝静まった姉の部屋に入り、枕元に座って姉の胸のあたりに包丁を高く掲げ、刺そうとした。

門脇さんは、包丁を掲げてどれくらいの時間が経ったかは憶えていないというが、「私が殺したら、外面がいい姉が被害者で、私が悪者になる」という思いが殺意をとどめた。結局、門脇さんは、眠っている姉に気づかれないまま、部屋を後にしたという。

その後はいつしか、姉へ怒りが募ると、自分の腹部を切り裂く想像をして抑えるようになっていた。

父親の事故

門脇さんは高校を卒業すると、調理師の専門学校へ進学。本当はボランティアの専門学校へ行きたかったのだが、父親は、「そんなものを学んでも稼げない」と言い、次に建築の専門学校を希望したら、「女のする仕事じゃない」と言われ、トリマーの専門学校も許してもらえず、唯一許してもらえたのが調理師の専門学校だった。

高校卒業後、姉は医療事務の専門学校へ進んだが、卒業後は就職しても長続きせず、転職を繰り返していた。

門脇さんの就職活動が始まると、「アンタなんか受からんから行っても無駄や! 行くんなら家事してから行け!」と玄関でもみ合いになり、結局面接に行けなかったことも。門脇さんが隙を見て外出すると、「何をしてたんや!」と有無を言わさずその日1日の行動を尋問され、「どうせ男と会ってたんやろ! 淫乱女が!」と吐き捨てるように言われた。

「私と姉との間に、何があったわけでもありません。姉は外ではいい子なので、ただ単に私を虐待することが、ストレスのはけ口だったように思います」

やがて門脇さんは就職。妹は園芸の専門学校を卒業し、働き始めた。それから2年ほど経った1999年の1月、門脇さんが24歳の時に「事故」が起きる。

トラックの運転手だった父親(当時49歳)は、早朝に出勤後、階段の踊り場で倒れている状態で同僚に発見される。どうやら会社の事務所に着き、タイムカードを押したあと、階段から落ちたようだ。すぐに救急車で運ばれたが、死亡が確認された。