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genre : ライフ, 社会, 人生相談

目撃者がいなかったため、遺体は警察に引き取られ、朝の6時ごろに警察から自宅に電話が入る。「ご主人が亡くなったので警察署に来てください」。母親(当時49歳)と私たち姉妹と、近くに住んでいた父親の姉夫婦と共に警察へ向かった。道中、父親の姉は号泣し、母親と妹は放心状態。姉は平然としていた。

警察署に着くと、事故の顚末(てんまつ)を聞かされたが、ショック状態の門脇さんたちは無言。「面会しますか?」と警察署の職員に言われると、母親と姉が面会した。しばらくして戻ってきた母親は、「狭い倉庫みたいなところに置かれていた!」と怒っていたが、姉は普段と変わらなかった。

その後、門脇さんは伯父(父親の姉の夫)と2人で死亡診断書を取りに行く途中で悲しみがこみ上げてきたが、涙を堪(こら)えた。医師からは、死因は脳挫傷だと知らされた。

姉との別居

父親が亡くなってからというもの、母親は家の中に閉じこもり、食事も喉を通らない様子で、何もせずボーッとしていたかと思うと、突然泣き出したりするような情緒不安定な状態に。

子供の頃から、母親に一番怒られていたのは姉で、その次は門脇さんだったが、父親が亡くなってからは、全く怒らなくなっていた。半年ほど経つと、「何も考えなくてすむし、お父さんのことも忘れられるから」と言ってパチンコに出かけるようになった。

父親を頼りにしていた母親は、今度は妹を頼りにするようになり、妹が出かけるとなると、「どこに?」「誰と?」「何するの?」「何時に帰るの?」と質問攻めにしたり、妹が欲しがったものを何でも買い与えたりして、妹の気を引こうとした。

父親が亡くなって1年が過ぎようとしていた頃、引っ越しの話が出た。当時暮らしていた家は、長男だった父親が継いだ家だった。父方の祖母は交通事故で門脇さんが生まれる前に亡くなっており、祖父は門脇さんが幼い頃に亡くなっていた。母親が嫁いできてからというもの、母親は近所からよく思われておらず、歩いて5分ほどのところに住む父親の姉とも不仲だったため、父親は生前から、「俺が死んだら、家を売るなり自由にしていいからな」と口癖のように言っていた。