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銃撃、事務所へのダンプ突入、組員ら8人が死亡…6代目山口組“分裂抗争”がついに迎えた「最終局面」

銃撃、事務所へのダンプ突入、組員ら8人が死亡…6代目山口組“分裂抗争”がついに迎えた「最終局面」

2022/01/09

source : ノンフィクション出版

genre : ニュース, 社会, 働き方, ライフスタイル

 国内最大の暴力団「6代目山口組」が2015年8月に分裂し、離脱した一派が「神戸山口組」の名乗りを上げてから7回目の師走を迎えようとしている。

 これまでに銃撃、繁華街での乱闘騒ぎ、事務所へのダンプ突入など、約90件の抗争事件が発生し、双方の組員ら8人が死亡、40人以上が重軽傷を負っている。巨大暴力団の分裂抗争は、新聞やテレビのニュースで異例の扱いで報じられた。

 それは、多くの死者を出した史上最大の暴力団抗争「山一抗争」(1984~1989年)の前例があったためだった。山口組は4代目時代にも分裂し、離脱グループが「一和会」を結成。300件以上の対立抗争事件が発生した。結果、25人が死亡、約70人が重軽傷を負った忌まわしい歴史があった。

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双方が山口組を名乗る理由

 最も暴力性がむき出しとなった山一抗争を象徴する事件は、1985年1月に起きた。4代目山口組組長の竹中正久が、同行していた最高幹部、ボディーガードらとともに、大阪で一和会のヒットマンに射殺されたのだ。3人を同時に殺害された山口組は翻って攻勢を強め、抗争が激化。一和会は弱体化していき、会長の山本広が1989年3月、組織の解散と山口組に謝罪することで終結したという経緯があった。

 6代目山口組の分裂に伴う対立抗争は山一抗争以来の苛烈を極めている。

 今回の分裂で6代目と神戸の双方が山口組を名乗っているのは、山一抗争当時に刻まれた記憶ゆえだという。当時の状況に詳しい指定暴力団の古参幹部は言う。

「一和会は山口組っちゅう名跡と山菱の代紋をほったがために衰退した。代紋はシノギ(資金獲得活動)の金看板や。せやから、今回は双方とも山口組を名乗り続けとる。そのプライドがある限り、抗争は終わらん」