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「子どもを産めば彼が戻ってきてくれるかもしれない」

ここからは、同級生3人の事例を紹介したいと思う。仕事はさまざまだ。美佳(仮名)さんは16歳で出産し、昼間のパートと児童扶養手当で、何とか2人の子どもを養っている。時給は最低賃金の820円。週5~6日パート雇用で働いている。稼ぎは月12万円弱で、あとは、母子・父子家庭を対象に支給される児童扶養手当と児童手当が収入源だ。

美佳さんは当時、スナックで働くかたわら子育てをしていた。その後、キャバクラに移ったり、昼間の仕事で生計を立てたりしていたが、子どもと血のつながりのない彼氏から暴力を振るわれるようになった。子どもへのクリスマスプレゼントは、ゲーム機はなくゲームソフトだけだ。

そんな経済状況の中、DV彼氏との間に子どもができる。彼氏は中絶を望んだが、美佳さんの意向で出産した。「子どもを産めば、自分のところに戻ってきてくれるかもしれない」という希望を抱いていたからだ。しかし、彼氏は美佳さんの元を離れ、別の人と結婚して新しい家庭を築いている。

美佳さんはひとり親世帯の出身で、母親はひとりで子どもたちを育てるために、繁華街から離れた場所でスナックのママをしていた。経済状況でいえば貧困家庭の出身といえる。高校受験に失敗、お金のかかる私立にも行けずに就職したため学歴は中卒になる。前述した収入から推測すると、不安定な生活を送るほかない状態だ。

子どもが生まれてから消息不明になったケースも

まりさん(仮名)の場合は、暴力団構成員やいかがわしい商売をしている男性と交際していた。子どもは3人いるが、全員、遺伝上の父親が違う。ひとり目の父親、ふたり目の父親は暴力団構成員だった。組から逃げたと同時にまりさんとも連絡がつかなくなり、消息不明だ。3人目は最近結婚した男性との子どもになる。3人とも水商売で出会った男性だ。

まりさんも美佳さんと同様、常に不安を訴えていた。「父親」の存在は必要だという固定観念に縛られているからだ。まりさん自身は、両親が揃(そろ)っている家庭で育ち、県内でも比較的土地が高いエリアの一軒家で育った。両親ともに安定した仕事で、沖縄の中では比較的裕福な家庭で育ったと言える。