起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。
もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第86回)。
緒方弁護団が隆也さんについては〈消極的な殺人行為〉
2005年3月2日、松永太と緒方純子に対する福岡地裁小倉支部での論告求刑公判で、検察側は彼らに死刑を求刑した。
それに続き、同年4月27日には緒方弁護団による最終弁論が行われている。
その際の弁論要旨(以下、弁論要旨)では、まず広田由紀夫さん(仮名、以下同)と、緒方の父である孝さん殺害について、緒方に殺意はなかったと否定した。そのうえで、母・和美さん、妹・智恵子さん、姪・花奈ちゃん、甥・佑介くんへの殺人については認め、争わないとした。
また、智恵子さんの夫である隆也さんについても、〈弁護人としても犯罪の成立を争うものではない〉としたものの、〈但し、緒方としては、松永の意向に逆らってまで、隆也に救命措置を講じることは極めて困難な状況にあった〉ということから、〈消極的な殺人行為〉であるとの注釈を加えている。
緒方一家事件後は「お手伝いさんのような存在」
この弁論要旨には、緒方一家6人が死亡した事件後である1998年6月以降の、緒方の状況についても触れられていた。それは以下の通りだ。
〈緒方一家事件後は、緒方は、布団で寝ることも許されず、子どもの養育にもかかわれないという、お手伝いさんのような存在であった。
平成12年(00年)ころから、それまで松永は公平に制裁を加えていると思ってきたが、緒方と甲女(広田清美さん)に差別があることに気づき、物事を冷静に見られるようになった。
しかし、逃げるところもないし、行くところもない、已む無く、緒方は親子心中をすることに望みをつないで生きていた状態であった。とにかくこうなったのも全部自分のせいだ、自分が最後まで松永と甲女に迷惑をかけないように、きちんとけじめをとって、一番最後は自分は死んでお詫びをしなければいけないと思っていたのである〉
事件発覚のきっかけは、監禁されていた清美さんの逃走によるものだったが、それ以前の清美さんへの監禁致傷事件(甲女事件)が起きていた段階では、松永にとって緒方の立場は低いものだったと弁論要旨は訴える。
〈甲女事件の頃は、むしろ、緒方が甲女より立場の上では下位にあったのであるが、たまたま甲女が逃走を図ったがために、緒方が松永の指示で甲女に制裁を加えることになったものである〉