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連載完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件

2021/12/28

genre : ニュース, 社会

「焼き印と入れ墨を入れ、友人と絶縁させ…」

〈「被告人は中流家庭に育ち、家庭環境に特別な問題はなく、短大を卒業して幼稚園に就職すると言う波乱のないコースを歩んでいる。ところが、まだ社会経験が浅い時期に松永からの接近で知り合い、肉体関係を持ってから本件で逮捕されるまで約20年にわたって中断なく行動を共にすることになる。松永は当初は紳士的に振る舞っていたが、間もなくデートの度に被告人に暴力を振るうようになった。

 

 焼き印と入れ墨を入れ、友人と絶縁させ、家族との会話を禁止し、退職に追い込んだ。このようにして被告人は松永に占有され、他の人々との交流を制限され、ほとんど松永というフィルターを通して社会と接触する状況に置かれた。日常の行動を常時監視され、細部まで規制された。松永の巧みに相手に負い目を負わせる手法は独特で、昭和60年(85年)2月の自殺企図のさいは、『残されたものがどうなるか』といった言葉で、被告人に対して、自分が松永に負担や犠牲を強いているという負い目、罪悪感を持たせた。そのため自殺企図が裏目に出て、いっそう松永に束縛される結果となった。湯布院からの帰還後に加えられた集中的な暴力と電気ショックはとりわけ強烈な影響を残した。言語的攻撃と一体となった電気ショックの効果については後に詳しく検討するが、重要な点は、『私が悪かったという思いをだんだん強くさせられていった』という被告人の言葉にあるように、暴力と糾問を浴びせられた結果、自分を暴力の被害者としてよりも事態を悪化させた張本人として自罰的に認識するように、いわば条件付けられたことである。門司駅での逃走企図の動機も『どうすれば松永に迷惑をかけずに死ねるか』というもので、暴力の加害者であるはずの松永の立場を気遣うという転倒した配慮にとらわれている。その後、逃走を断念した理由については、『私が松永を守らなければいけない』『私がしくじらなければ暴力は受けないはずだと思った』という。ところが逮捕されて物理的に離れることで、ようやく精神的にも従属から離脱し、その後は松永に対して一転して厳しく覚めた目を向けている。ただしこれはかなりの時間を要しており、精神的な拘束の強さがうかがわれる」〉

 また、鑑定意見書は松永について、〈「松永は事件の被害者を含む複数の関係者を巧妙なテクニックを様々に駆使して操作、支配する非凡とも言える才能を身に着けている。この点で、異性のパートナーのみを暴力の対象とする通常のバタラー(虐待男性)の域を超えている」〉との評価を下している。