昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

難病で寝たきりになった妻のオムツ交換、介助を続けた40歳夫が最期にかけた言葉―15年間もひとりで介護できた理由

source : 提携メディア

2020年(1~12月)、プレジデントオンラインで反響の大きかった記事ベスト5をお届けします。老後部門の第3位は――。(初公開日:2020年11月28日)

23歳で指定難病を発症した妻の病状は次第に悪化。32歳で自力歩行ができなくなり、34歳で飲み込みが困難に。自身の不随意運動によるケガ防止のため24時間の拘束が必要になった。同い年の夫は妻のオムツ交換や食事、入浴の介助などを一人で行った。「妻の容体がコロナ禍で急変した時は不思議と落ち着いていた」と語る理由とは——。

写真=iStock.com/show999 ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/show999

(前編の主な内容)
22歳の時に高校の同窓会で再会したのをきっかけに交際・同棲した九州在住の男性。交際後、相手の女性は脳の一部の神経細胞が失われていく遺伝性・進行性の疾患(指定難病)のハンチントン病と診断された。だが、男性は愛を貫き結婚し、話し合って妊活を決意した——。

難病だが、障害年金はおりず、医療費の公費負担も得られなかった

前編からつづく

相手の女性が指定難病と知りつつ結婚入籍した瀬戸良彦さん(仮名、現在40歳・独身)は27歳になった頃、それまで勤めていた会社を退職し、地元九州で親族が経営する小さな会社へ転職することにした。

妻はハンチントン病という疾病にかかっていたが、2人でよく相談して妊活を決意。念願かなって妊娠したため、妻の介護と生まれてくる子の育児の両立を考え、互いの実家がある故郷に戻り、親族が経営する会社を手伝うことにした。「将来のためにはどちらかの実家へ身を寄せたほうが良いだろう」と思い、妻の希望で瀬戸さんの実家に住むことに決めたのだ。

結果的に、妻は流産してしまったが、瀬戸さんは妻への献身をやめることはなかった。だが、不安な気持ちにさせる出来事が次々に襲いかかってきた。

この頃、瀬戸さんは妻のために障害手帳や障害年金などの手続きを開始。しかし、国民年金に数カ月の未払い期間があったため、障害年金はおりなかった。また、日本では2015年の難病法施行時にハンチントン病は難病に指定されたが、当時はまだ施行前だったため、医療費の公費負担も得られなかった。

z