1ページ目から読む
4/5ページ目

八百長を指示していたのは田中氏だった

「たとえば舞の海は、日大出身の出来山親方(元関脇・出羽の花)のルートで出羽海部屋。27歳で角界入りした智乃花の場合には、古参力士のイジメを警戒し、同じく後輩である大翔山、大翔鳳のいる立浪部屋。肥後ノ海と濱ノ嶋は、同じ熊本工大高(現・文徳高校)出身であったことから、同じ三保ヶ関部屋。四股名も田中氏が決めるケースが多く、立浪部屋に入門した西田崇晃には、日大を逆さにした大日ノ出という四股名をつけています」(同前)

 田中氏に限らず、大相撲の世界における取引は「現金主義」が原則。かつて、高額で取引される親方株の脱税を当局が問題視したこともあったが、選手たちのプロ入りをめぐり、多額のカネを動かしたとされる田中氏に「納税」の意識が希薄だったことは、今回の事件で、自宅に多額の現金を保管していたことから見ても明らかだろう。

 2011年に発覚した「大相撲八百長メール事件」で角界を追放された山本山(埼玉栄高校から日大に進学、尾上部屋)は引退後、週刊誌上において「日大内八百長」の存在を告白している。

ADVERTISEMENT

巨漢力士として人気もあった山本山 ©文藝春秋

 日大相撲部の勢力が大きくなるにつれ、主要なアマ相撲大会で日大の選手同士が上位を争う場面が多くなってきたとき、タイトルを分け合うことによって全員がハクをつけ、プロ入り後に付け出しデビューする資格を共有するため、八百長が横行していた。これを指示していたのは、他ならぬ田中氏である。

田中英壽前日大理事長

 指導者としての力量は誰しもが認めるところながら、その能力を間違ったところにまで発揮していた田中氏。その「相撲界の常識」を大学運営にまで持ち込んだことが今回の事件につながったと言えるかもしれない。

「ドン」への崇拝競争の誕生

 言葉ではなく、態度で自身の姿勢を知らしめるという「田中式」の権力掌握術は、すでに日大相撲部監督時代にも垣間見える。前述した田中氏の著書には、こんな「教育法」が紹介されている。

《たとえば、みんなで食堂に入ったとします。私の日ごろの言動に注意を払っている連中は、パッパッと私のまわりの席に座り、私と同じものか、たいして手間のかからないものを注文します。

 でも、監督に隠れてタバコを吸ってやろうと腹に一物あるような連中は、ちょっと離れたところに陣取ります。注文するメニューも自分勝手ですし、いま、監督が何をし、仲間はどうしようとしているか、およそ注意を払わず、自分たちだけで頭をくっつけてヒソヒソ話をしたり、クックッと笑ったりしています。

 これでは団体行動のメンバーとしては失格です。そういう連中がいると、私は、まわりの者をせかせて食事を済ませて、ソッと自分たちだけ外に出てしまいます》(『土俵は円 人生は縁』) 

 相撲部員の教育に限ってみればこうした手法もあり得るのだろうが、田中氏は日大の理事長になってからも、忠誠心を見せない人間を排除していくという方法を突き詰めた。その結果、いつしか「ドン」への崇拝競争が生まれ、経営が歪んでいったのはここまで報道されているとおりである。