両作をスクールライフとしての観点から捉えると、『鬼滅』は生真面目、『呪術』はカジュアル。『鬼滅』にもコミカルな描写は挿入されていたが、基本的に真っ当で豪速球。対して『呪術』はかなりくだけた印象だ。ふざけてる、という意味ではない。品のよい、お気楽さがある。いい感じの、力の抜き加減。程よい湯温。長湯もできそうである。
命を燃やす『鬼滅』は、いい意味で高温、江戸の古き良き銭湯みたいだ。さっと入って、さっと上がる。私は、熱いお風呂も好きだが、まったりとゆるゆる楽しめる温泉も好きで、『呪術』は後者だなと思う。いろいろあるスーパー銭湯、的な。
カジュアルな放課後。とはいえ、不良性は微塵も漂わないところが現代的。ヤンキーはいないし、ダークな雰囲気もない。危なさがなくて、安心して、湯けむりに包まれる。
原作のサブタイトルに『東京都立呪術高等専門学校』とあるが、本チャンの授業より、アフタースクールの情景が記憶に残る。
たとえば、この映画の主人公(エヴァのシンジと同じ声優さんだ)と、メガネの女の子が、闘いの練習をしている。それをパンダと、おにぎりの具の名前しか基本的に口にしない少年が眺めている。で、そこに、先生(この人がめちゃめちゃ強いのだと、前述した大学生や大学院生たちは声をそろえる)が様子を見に来る。シーンの終盤では、メガネの女の子とパンダが取っ組み合いのケンカ(というか、じゃれ合い)をしているが、一連の流れも含め、この場面に最も『呪術廻戦』を感じた。いいムードだ。とてもいい情緒だ。
言うなれば、私にとって『呪術』は、ずっとこの情緒が継続している1時間45分の物語=放課後であった。考えてみれば、自分がティーンエイジャーのころの放課後ってだいたい1時間45分くらいの感覚だったよなぁとも思った。2時間でもなければ、1時間半でもなく。1時間45分が放課後。