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神田沙也加さんと最後の会話は「これから本当にやりたいことをやるんです」…宮本亞門が振り返る“17歳の沙也加”から母・聖子への思い

#2

「文藝春秋」2月号より演出家の宮本亞門氏による「神田沙也加『瞳のかがやき』」を全文公開します。(全2回の2回目/前編から続く)

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初日公演に松田聖子さんが

 ミュージカルの初日公演に、松田聖子さんは駆けつけてくれました。直前まで聖子さんの予定が確定しなかったようで、「来てくれるといいんですけどね……」と、沙也加さんもそわそわしていた。公演の数日前かな、彼女が嬉しそうにやって来ました。「お母さんが来る! 決まりました! やったー!」って。

 当日、聖子さんが座ったのは、前から5列目の真ん中辺りの席です。開演前に客席がザワザワとしはじめて、ご本人がいらしたのがすぐに分かりました。そして、開演と共に、沙也加さんは抜群の歌と演技を観客に見せつけたのです。彼女の実力を全て発揮した夜でした。公演後、楽屋へ挨拶に来られたお母さんも、本当に喜んでいました。

松田聖子

「イントゥ・ザ・ウッズ」で新境地を切り開いた翌年の2005年5月、芸能活動を休止することを公表。当時の心境を、次のように語っている。

〈休止した一番の理由は、仕事をしていく中で、自己を形成する時間がないという危機感があったから。「自分を見つめたい」などというまとまりがいい言葉では言い表せない、もっと荒削りな感情でした。生き方を見つける、あるいは、存在の仕方を考える、とでも言えばいいのでしょうか〉(『婦人公論』2006年9月22日号)

「松田聖子の娘」という運命を背負いすぎている

 沙也加さんは天真爛漫であると同時に、繊細な人です。また真面目すぎるせいか、自己評価を低く見積もるきらいがありました。「私はまだまだ」が口癖で、歌やお芝居に貪欲な姿勢を貫いていました。

2017年、ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」の製作発表に登壇

 あまりに生き急いでいるように見えるので、「大丈夫なの?」と聞くと、「もうっ! この私が負けるわけないじゃないですか!」と、満面の笑みで、元気な答えが返ってくる。正直、それがなぜか痛々しく感じることもありました。

「あなたはあなたのままでいいんだ」

 稽古を通して、沙也加さんにはこの言葉を何度も伝えました。「松田聖子の娘」という運命を背負いすぎているように見えたからです。