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 東宮傅の下には、東宮学士が2人置かれます。彼らが実際にいろんな学問を教える立場です。また、皇太子の兄弟姉妹である親王や内親王には、それぞれに1人ずつ、文学という教育担当者が置かれます。

 東宮学士と文学を比べると、明確にランクが違います。これらの制度はやがて形骸化していきますが、皇太子とそれ以外の方の教育に差をつける形式は残っていきます。

 当時の教科書はいずれも中国から伝来した書物でした。たとえば、帝王の政治に必要な名文を抜き書きしてまとめた『群書治要』。宇多天皇(867~931)は、皇太子敦仁親王(後の醍醐天皇)に書き与えた『寛平御遺誡(かんぴょうのごゆいかい)』において、こう記しています。

「唯『群書治要』のみ早く誦習すべし」。早くこの教科書を暗誦できるほど学習しなさいよ、と勧めているわけです。

 また、善政を行った唐の太宗と臣下との問答をまとめた『貞観政要』という教科書は、近代になっても、明治天皇や大正天皇が学んだことが確認できます。

ブータン王国へ出発される悠仁さま ©JMPA

 8~9世紀から歴代の天皇が学んできたこうした古典は、中国の書物なので、儒教的な教えが前面に出ています。ただ中国と異なる事情として、日本の天皇制度の底流には、天照大神のような神話や伝説があります。そうしたものが平安時代以降、だんだんと表へ出てくるようになってきます。

『禁秘抄』という天皇の教科書

 そうした流れの中で、天皇が心得るべき重要事項として「神事」を扱う教科書が出てきます。順徳天皇(1197~1242)の著した『禁秘抄(きんぴしょう)』です。天皇の日常的な心得や儀式についてまとめており、冒頭では「およそ禁中(宮中)の作法、神事を先にし、他事を後にす」と示されています。日々神を敬うことを怠るな、という考え方です。

 禁秘抄については、私自身、忘れがたい思い出があります。

 宮内庁書陵部編修課長だった時のこと。元掌典長の永積寅彦さんが私に対して、「禁秘抄にはこういうことが書いてあるようですが、どうですか?」と尋ねてきたのです。

 永積さんといえば、後にも触れますが、昭和天皇の数少ないご学友のお一人です。そして掌典長というのは、宮中の祭祀を担当する最高責任者です。

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