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 いつも紳士的な永積さんが、ちょっとおかしそうに笑みを浮かべておられる様子から、「これは試されている」とピンときました。具体的に何の記述だったかは失念しましたが、永積さんに「はい、そういうことであります」とかしこまって答えながらも「永積さんが知らないはずがないのになぁ」と内心思ったのを覚えています(笑)。

 この一件のおかげで、禁秘抄がいかに現代まで大事にされてきたかがよくわかりました。永積さんも10代の頃から、昭和天皇とともに学んでおられたのでしょう。

天皇が楽器を演奏する理由

 また、禁秘抄には「諸芸能事」という項目があります。

 そこには「第一、御学問なり。それ学ばざれば、即ち古道に明らかならず」と記されています。学問を大事にしなさいと、後の天皇となる人たちに言っているのです。平安末期から鎌倉、室町時代において、天皇が政治的な権限をほとんど持たなかったことが背景にあります。学問に精を出すことで、自らの存在意義を守る面もあったでしょう。

 諸芸能事の第二は管絃、第三に和歌と続きます。いずれも、歴代の天皇が実践してこられたことです。

 管絃とは楽器を演奏することですが、ただ音楽を楽しむという以上の意味があると私は捉えています。音楽というものは人間にしかできない作業です。その作業を通して人間性を高めているのだと思うのです。

2021年、悠仁さまのお誕生日に際してのご近影 宮内庁提供

現代まで生きている禁秘抄の教え

 現代でも、上皇がチェロを、天皇がビオラをおやりになるのは、そうした帝王教育の流れに位置づけられるのではないでしょうか。いずれも西洋の楽器ですが、禁秘抄の時代のように琵琶をプルルンと弾いていたらちょっとアナクロな感じもしますので、時代に合わせた楽器を演奏なさるということでいいのだろうと思います。

 一方で、日本の伝統文化は皇室の中で伝えられる、ということもよく言われます。一般社会ではほとんど消えてしまっている伝統文化でも、皇室があることによって引き継がれ、維持されているものがあるのです。

 歌会始は、まさに典型例です。人々が集まって共通のお題で歌を詠み、披露する「歌会」は、奈良時代以降行われていた伝統文化です。他にも宮中では、様々な年中行事が行われています。私は直接タッチしたことはありませんが、関係者の話を聞くと、祭祀が行われる日には、伝統に則った準備をし、お供えすべきものをお供えするということを維持しているそうです。だからこそ、禁秘抄の教えが現代まで生きているとも言えるわけです。

後編に続く)

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